アル中のsyousukeです、こんばんは〜

もう今年も残りわずか、また嫌いなクリスマスやら正月がやってきます。


きっとこういうフレーズを読むと何故?と思われる方も多いかと思いますが、私は子供の頃から世間の楽しそうなイベントが大嫌いだったのです。

私の親父は明けても暮れても競輪、競馬、競艇、オートレース、パチンコ、賭け将棋と博打三昧。そのくせ博才は無く、勝負に負けたはらいせを家庭に持ち帰る内弁慶者。嫌な思い出しか残っていません。

今でこそ「ギャンブル依存症」という立派な病名がありますが、当時はただのきちがいと思っていました。考えてみれば自分は「アル中」という負けず劣らず、いやそれ以上のどきちがい。やはり、「カエルの子はカエル」か…

先日からそんなことばかりが頭をよぎります。


16歳で家を出て自立した当時も今の心境と同じでした。
今考えても独りで生計を立てるのは辛かった。
でもそれなりに乗り越えてこれたのに、知らぬ間に逃げ癖が付いてしまいました。

「アルコール」、この史上最強の安定剤が無ければ俺は生きてこれなかったやろなぁ。
おかげでアル中になってしまったけど、アルコールという逃げ場があったからこそ生きてこれたのだと…

不思議なもので、独りで生きるためにはなめられる事は生き死にを意味し、突っ張ることでしか世渡りの仕方は見えなかった。そういう生き方を続けながら小さいながらも事業が成り立っていた頃は、イケイケの性格に生んでくれた親に感謝さえしていた。あの、博打中毒の親父に虐待されてきたからこそこんな性分になったんやと、感謝していた時期すらあった。


「カエルの子はカエル」と親を恨んでみたり、虐待されたからこそ負けず嫌いな性分になれたと親に感謝したり、そのときの幸福度に感情が左右されている。

以前であれば辛い気持ちの時には酒に逃げれば簡単にその場をしのぐことが出来たが、酒を手放した今、逃げ場が無い。しかし我々アル中と違ってアルコール健常者は酒に頼らず辛さを消化する。これが出来て初めて寛解なのは理解はしているが簡単には回復させてもらえそうに無い。

今の自分の環境を素直に受け入れることが出来れば、螺旋階段を転げ落ちるような負の連鎖は断ち切れるのだろう。先日来の断捨離にはこういった意味も感じている。

サーマル(熱上昇気流)を得たグライダーのように上昇のスパイラルに乗らなければ!


断酒:1687日
禁煙:2526日