アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

タグ:結核

こんばんは〜

アル中のsyousukeです。
おかげさまで何とか酒は止まっております。


結核予防会大阪病院

4年前の2006年9月11日に、この病院(結核予防会大阪病院)の6階隔離病棟に命令入所と言う形で半強制的に入院させられました。

病名は今や過去の遺物となって久しい「肺結核」です。

「肺病」とか「労咳」とか呼ばれていた不治の病でしたが、医学の進歩に伴って今や完治する病となり、密かなブームもあるようですがほとんど耳にすることもない病気です。

4年前の梅雨頃に人間関係のトラブルから無職になり、飲酒に対する歯止めがなくなった私は、朝から晩まで24時間起きている時は飲み続けるという連続飲酒に落ちていました。飲んでいるか気を失っているか、もう昼か夜かも分からない状態でした。

それまでも、仕事をしながらでも飲酒量はおびただしく、職場でも隠し持ったバーボンを隠れ飲みしないと手の震えがおびただしくてどうにもならなかった・・・

流動食以外はほとんど受け付けず、うどんすら箸でつまめないほど手指の震顫(しんせん)は酷く、ほとんど飯など食ったこともなかった。

ひたすら酒を飲んで倒れる・・・

栄養失調で体の抵抗力はとことん落ちていたと思う。そんなところに結核菌をもらったのか、すでにもらっていたものが弱り目に発病したのか、痰の絡む激しい咳が続くようになったが、酒を止めさせられるのが嫌で医者には行かなかった。もう何年も前からアルコール性肝炎と診断されていたからだ。

お盆を過ぎた頃から強烈に体がだるくなり、一日中吐き気が続き、咳は止まらず、全身冷や汗が滝のように流れ、寝返りがうてないほどの胸痛(咳のしすぎで肋骨が折れていた)に襲われる。

さすがに耐え難く、咳止めと痛み止めをもらいに這うようにして近所の内科に行くと、総合病院に検査を受けに行くようにとまわされてしまった。そして検査の結果、肺結核と診断され、専門病院に隔離・・・



実はこのときから地獄が始まったのです。
外来患者への感染を避けるため、院内の売店にも行くことが許されず、当然外出は一切禁止。一滴の酒も飲めない・・・

離脱の始まりです。
眠れない、全身に虫が這うような痒み、体中の筋肉の痙攣、心臓が破裂するのではないかと思うほど強烈な動悸・・・

眠剤を処方してもらっても短時間しか眠れず、寝ると悪夢にうなされ暴れて目覚める。
同室はもちろんまわりの病室の患者たちまで悪夢による大声で起こしてしまう・・・

約、2週間続きました。
酒を一滴も飲まずに過ごすなんて長年のあいだ一日も無かったこと、離脱症状がこれほど苦しいものとは全く知らなかった・・・


友人が見舞いに来てくれたときなど、

 なんで酒を持ってきてくれへんねん!
 今から買いに行ってきてくれ〜

そんな事でけへんなんて言われると

 なんでやねん、友達やろ!
 頼むから買うて来てくれ〜
 でけへんねやったら絶交じゃぁ〜


今考えたら無茶苦茶でした。でも本人は大真面目!
結局、一月くらい経ってからあの手この手で酒を手に入れて隠れて病室で飲むようになり、挙句の果ては外出許可も出ないのに脱走しては酒を買いに行くようになる。

酒を手に入れるためにはどんな努力も惜しまんかったなぁ・・・

幸いにも結核病棟は医師、スタッフ、患者、全員がマスク着用。
酒の臭いが分かりにくい。多分・・・

別に飲酒が見つかったわけでもないが、ドライドランクも手伝ってか苛々が激しく、病院側の不備を見つけては因縁を付け、院長回診(大名行列)の30分前に非常階段から脱獄に成功!

憧れのシャバの空気は美味かった!

半年入院予定を45日で脱獄して、以後保健所を上手く丸め込んで近所の内科クリニックに通院治療に変更してもらった。もう誰も止めるものはいない。飲みたいだけ飲んで、自宅療養に励みました。

何とか、通院しながら半年のお勤めをまっとうし結核は完治したものの、アル中には磨きがかかり、アルコール性の肝炎はかなり進んでいた。このころが自分の底つきの始まりだと思う。


寝屋川サナトリウム

結核入院時代、結核病棟からは出られないが、屋上だけには自由に出入りできた。
その屋上からこのサナトリウムが見えていた。

精神科のサナトリウム、いったいどんな患者が入院しているのか、当時は知るよしもなかった。その上、自分が精神科のお世話になるなど夢にも思わなかった。


実は、先日アル中仲間がこの病院に入院したので、見舞いに来たのである。
仲間は外出中で会えなかった。精神科のサナトリウムって牢獄のようなイメージを持っていたが案外自由なんやと驚き、結核の方が余程刑務所に近かったなどと、懐かしく当時を思い出していた。

しかし、脱獄した病院のすぐ近くまで行くことがあろうとは夢にも思わなかったが、おかげで離脱症状の苦しかった体験をまざまざと思い出し、やはり酒に手を出すべきではないと、改めて初心に戻れました。


断酒:1221日
禁煙:2060日
前回の飲酒未遂から:161日
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今日で断酒100日目。

今になってみれば簡単に迎えることができたような気がする。でも思い起こせば最初の1週間ほどは本当に苦しかった。あの離脱の苦しみを忘れないようにしなければならない。同じ苦しみを繰り返さないようにするためにも!

今、一度思い起こしてみると、
15年ほど前から、強力な手の震えで飲んでないと字がかけなかった。で、震えが止まっているときでも緊張すると震えだす。動悸も激しくなる。怒りをともなうときには、全身の激しい震顫、激しい動悸、流れる冷や汗。パニックと同じ症状がでる。

10年前くらいに、吐血する。鮮血を大量に吐いた。町医者に行くがその時点では出血がなかったので原因が分からないまま、さすがに少々びびった俺は3日ほど酒を抜く。が、苦しみをともなう離脱症状らしきものは無かった。で、連日の飲酒に戻る。

8年前、朝起きると顔面片側が血のりでべっとり、髪の毛は血のりでレゲー状態、自分以外の嫁や、たまたま泊まりにきていた従兄弟が驚く。何事か分からぬまま鏡を見て納得。どうも寝ている間に鼻血が大量に流れ出ていたようだ。痛くもかゆくも無いので、気にも留めなかったが、三夜連続で血まみれになり少しびびるが飲酒は続く。

数日後に、日中職場で鼻血が左から出る。ティッシュを詰めて止めるが右から溢れる。左右共にティッシュで塞ぐと鼻血が喉にまわる。1時間ほど待つが出血は止まらず血まみれ状態になる。さすがに困って、病院に行こうとするが、タクシーに乗車拒否される。そりゃぁ当然、顔面血まみれで、トイレットペーパーをロールで持つ手も血まみれなら乗車拒否されて当たり前かも、しかし気のいいタクシーが汚れてもいいからと乗せてくれる。

耳鼻科で内視鏡を使って出血点を探すが、診察を待たされてる間に出血が止まってしまってるのでその時点では分からず。CTを撮るが原因分からず仕舞い。結局、やはり3日酒を抜いてもとの休肝日無しに戻る。当時の血圧は下が70〜80、上が140〜170。不意に胴回りに痒みを感じ出すのもこの頃から始まる。

手の震えは相変わらずひどく、字は書けないし、箸でうどんを掴むこともできない。ぐいのみに一升瓶から酒も注げない。たまたま両手の震えがシンクロしたときだけ酒をこぼさずに注げる。こんな状態が続きながら、吐血や鼻血などの出血は起きなくなった。

が、5年ほど前から、激しい動悸が日中起きるようになる。理由が分からず心臓が悪いのかと勘違いして、禁煙を決意する。今考えると、24時間酒が持たなくなっていたのだ。日中から離脱症状が出始めていた。しかし、当時は理解できなかった。禁煙は半年間続くが失敗に終わる。

さらに夜一人でいると、背丈ほどのパキラやアレカヤシ(観葉植物)が人に見えて動き出す。錯覚と思っていたが、おそらく幻視だ。

3年ほど前から飲酒後、24時間ほどで激しい動悸、全身の激しい掻痒感、冷や汗、不眠が始まる。原因が分からず不安を感じるが酒のせいとは考えもしなかった。今思えばその後、飲酒で止まっていたので気付かなかっただけで列記とした離脱症状である。

2年ほど前からは異状に腹が張り、前屈が苦しくなっていた。腹水が溜まっていたのだと思う。前触れ無しにいきなり気が狂いそうな痒みが突発的に起きだしたのもこの頃だったと思う。さらに数日間の連続飲酒も始まる。いきなり電話のベルがワン切り、普段鳴ることの無い電話が頻繁にワン切り。幻聴が始まる。
性格も凶暴に成る。わざわざやくざっぽいのを見つけては喧嘩を売りに行く、で、ぼこぼこにどつきまわす。黒塗りのベンツのほんまもんに仲裁に入られたこともあった。

「兄ちゃん、それくらいで堪忍したりぃな!」

この頃から体が酒を受け付けなくなる。食欲も無く、流動食くらいしか受け付けない。受け付けても吐くことも多くなる。で、暫く酒を抜く、半月や一月の間、断酒できる。タバコと同じく暫く止める事が可能と思い始める。

今思えば、山形飲酒の始まりだった。が、当時は飲酒をコントロールしているつもりだった。大きな勘違いである。多少からだが回復すると連続飲酒を繰り返す。起きてる間は飲りっ放し、寝ている間というよりも気を失ってる間だけ飲ってないだけで、意識のある間は飲りっぱなし。その間はブラックアウト。1週間が1日くらいの感覚になってしまっていた。

で、1年前に結核発症。隔離病棟に入院。
このとき初めて恐怖の離脱症状をあじあうことになる。死にそうなほど苦しい動悸、気が狂いそうなほどの痒み、あらゆる筋肉の痙攣、流れ出る冷や汗、通常量の睡眠剤では効かない不眠、ウトウトしたときに見る悪夢、夢遊病のように無意識で暴れる自分。そして、激しい飲酒欲求・・・

少しの出来事で簡単に切れる。イライラする。激しい飲酒欲求。離脱症状の繰り返しが2週間ほど続く。その後ひと月ほどで苦しい離脱症状はなくなるが、イライラと不眠と激しい飲酒欲求は続く。で、挙げ句の果てに看護師長にぶち切れて病院を脱走する。感情のコントロールが出来なくなっていた。

その後、結核治療が終わるまで近所の内科に通院する。おそらくこの頃に鬱が発症していた。何もかも投げやりに成りながら、クリニックの先生だけが話し相手、相談相手、日々上がっていくγ-GTP。このとき先生にアルコールの恐ろしさをやさしく、そして、激しく教えられる。

この頃、自分の中にアル中と戦おうとする芽が出始める。


現在の血圧、下60〜70、上110〜130
禁煙2年7ヶ月継続中


まもなく断酒100日達成!



今日も読んで下さってありがとうございます。
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