アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

タグ:暴力

  
こんにちは。

アル中のsyousukeです。

おかげさまで酒は止まっております。^^



今、ダブルワークするべくアルバイトを探しにハローワークへまめに通っております。
しかしたぶんに漏れず、五十半ばのおっさんにとってはパートタイム職ですら氷河期で、お祈りメールと共に戻ってくる履歴書と職務経歴書の山が築かれてしまいました。

しかしなぁ、時間給800円のアルバイトに応募するのに何が悲しゅうて職務経歴書が要るのか、何が悲しゅうて書類選考に10日もかかるんか、えらい時代になってしもうたもんですわ〜

そんなわけで少しでも就活しやすくするために印籠(精神障害者手帳)を使って障害者としての登録もハローワークにしてみたのです。

で、先日いつものように自宅インターネットで検索済みの求人(健常者)の紹介状をハローワークにもらいに行くと、この窓口のおっさんがまたえらい無愛想で高飛車、完全に仕事やる気がない!

こういった窓口業務の担当者の『やる気』というものは、嫌というほど明確に伝わってしまうんですね〜

なんせこちとら、他人様の顔色を伺うのは超得意なAC気質ですから…
そこで受け流せればいいのですが、やっちゃいました。^^;


 こらぁ、われその態度何やねん

 もっと性根入れて仕事したれや!

 やる気ないんやったら顔に書いとけ、他の窓口に行くよって、のぅわれぇ〜


で、この窓口担当者が何をぬかすかと言うと、


 ここに来んと障害者の窓口に行ったらええんや!


と、大声でのたまわれた訳です。

別に障害者であることを周りの人に知られたところで痛くも痒くもないけど、個人情報保護法がどうのこうのと必要以上に個人情報を盾に情報公開を渋るお役所が、本来保護の対象になるべく障害者に対して差別的な態度をとるなんて、

ぜ〜〜〜ったい、許せん!

こう考えた私は、プチっと切れてアル中モードのスイッチが入ってしまったのです。

     ・
     ・
     ・ 約20分間 省略
     ・
     ・

警察沙汰は起こしておりませんのでご心配なく。

え?、心配などしていないですって?
ではご期待に添えませんで失礼。(笑)

結果的にはフロアー責任者と共に謝罪してくれたのでその場は収まりました。
(肝心の窓口担当者は嫌々でしたが…)



で、実は翌日にも断酒例会に行く途中、

例会場の前で道路工事があって、そこのガードマンが例会場の植木の植え込みにビニール袋のごみをねじ込みました。

なんとなくそのガードマンの挙動がおかしかったので気にしていたところその現場を押さえてしまったんです。


 こらぁ、なに子供みたいなことしとんねん!

     ・
     ・
     ・ またまた、約20分間 省略
     ・
     ・

と、またやっちゃいました…

今考えてみると、子供みたいなんは自分のことやと反省しております。
昔のように手が出んだけで、暴力に依存する考え方は全く変わっていない。

他罰的で自己中心的な考え方は、酒に囚われているときの自分が全てにおいて正しいという、飲む事を正当化するための手段に他ならない。

弱いくせに自虐的なため、自暴自棄を伴う暴力。

そりゃぁ、まともな人からしてみれば、切れてるやつが一番怖いよなぁ…

怖がられて自分が強いと錯覚して暴力に依存する自分…


飲んでないだけで、全く回復が追いついていないのが情けない。

いちいち、巻き舌で物言うのを治さんことにはあきませんね。
もっとさわやかに対処できるようにならないと… (汗)


巻き舌で物言うと相手がどう感じるか、

さわやかに言われるとどう感じるのか、

このあたりの認知の仕方が気分を変えることなのだということが少し分かりかけてはきたけど、改善するのは難しい…


まぁ、気の長い話やけど、飲まずにさえおれば何とかなるか?

ということで、今日も飲まずに過ごせそうです。



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子供のころ面白がってビールを口にしたことがあるらしいが覚えていない。
親父は一滴も飲らない。おふくろもほとんど飲まない。

ところが、親父の弟である叔父はよく飲んでいた。大酒のみだったように思う。
叔父は昼間っからカンテキ(七輪のこと)で酒粕を焼き砂糖をはさんで食っていた。
たぶんこれを肴に日本酒を飲っていたのだろう。いつも酒くさかった。

俺は子供のころ、この酒粕が嫌いで「粕汁」も「粕浸け」も食えなかった。
おそらく日本酒の匂いがたまらなく嫌だったのだと思う。
今では飯の代わりに「米の汁」とかいいながら飲るのに不思議だ。
叔父は飲むが、親が飲まないのにいったい誰に似たのか?
きっと祖父母かその上のご先祖あたりに呑み助がいて「隔世遺伝」とかいうやつなのか?

16歳のころ家出をし友人宅を転々としていたとき初めてウイスキーを口にした。
忘れもしない。
サントリーレッドのポケットサイズをコーラで割り3人で飲み、
3人とも「3日酔い」したのである。
3日間ひたすらに吐いた。

脱水症状で水を飲んでも吐く。
内臓まで出るのでは?と思うほど吐きまくった。
3人でレッドのポケットサイズ1本で・・・
いまなら寝起きのコーヒー代わりに一気にゴクゴク飲れる!
酔いもしない。「ポ」っとなるだけ。
当時、レッドのポケットサイズは1本150円だったので、1人50円で3日間酔えた計算である。

いつまでも友人の家を転々とする訳にもいかず思案しているときに、偶然にも知り合いのそのまた知り合いの家業の新聞屋に住み込むことになった。
16歳で自立である。

当時新聞屋は、「新聞屋ごろ」とかいって「魚河岸」と共にごろつきの集まるところだった。質の悪い労働者をろくに身元も調べずに雇い入れたのである。
中には「奨学生制度」というものがあって「苦学生」の職場でもあったわけだが、基本的には怪しい輩の職場である。
ぴちぴちの16歳である青少年の俺は、当然のごとく怪しい大人に色んな事を仕込まれていくわけである。酒は「吐いて強くなれ」とかいわれて・・・

毎日飲み歩いて4畳半のアパートに帰ると天井がぐるぐると回っている。
45度くらいに天井が傾いていた。
今思えば懐かしい感覚である。
今はどれほど飲んでもそこまで酔わない。

きらきらとミラーボールの回るキャバレー。
3000円のチップでパンツを脱ぐホステス。
今のようにカラオケなど無く、手拍子だけで歌うスナック。
16歳、高校1年生の俺は夜毎こんな掃き溜めで飲みつづけ、
酒臭い息を吐きながら登校していた。

と、いうよりも早朝から働いて深夜まで盛り場を徘徊した「寝不足」を解消するため学校へ行っていたというのが正しい。

1時限目から6時限目まで飯も食わずに寝ていたこともあった。
教科書はよだれでぼこぼこ。
起こすとしばかれるので誰も起こさない。
先生もそっと寝かせてくれていた。

毎朝3時半ころ職場に朝刊が届く。
それから折り込みのチラシをセットして配達に出る。
遅くとも5時半ころには出勤しないと遅配で苦情がくる。
今のように新聞休刊日などという軟弱なものはほとんど無い。
雨の日も、風の日も、雪の日も2日酔いを押し殺して配達は続く。

早朝は怪しい人間の出没も多発する。
布団を頭からかぶって走りまわってるやつ、
奇声をあげながらポントウ(日本刀のこと)を振り回してるやつ、
夜働いて就寝する前なのかシュミーズ(キャミソール)姿で朝刊を受け取るおばはん。
よく見ると、昨夜安キャバレーで3000円でパンツを脱いだホステスってこともあった。

俺の青春時代、周りを見渡すと、
アル中、シャブ中、売春婦。
袋の中のG10をプチプチつぶすシンナー中毒。
いろんなジャンキーがあふれていた。

16歳の少年が、凍てつく冬の早朝にかじかむ手を擦りながら朝刊を配達する。
学費も食い扶ちも自分で稼がないと誰も助けてはくれない。
同級生は過保護な環境でぬくぬくと生活している。
このストレスを酒で紛らわせる方法を編み出すことにさほど時間は必要なかった。

今考えたら俺がアル中になる環境は整っていたのである。
酒と女と暴力。
当時は同級生より少しだけ大人である自分に酔っていたのも事実かな?
今はボロボロやけど・・・

しかし、まだこの頃はアルコールに依存はしていなかった。
ただ、飲めたのである。
他人より酒に強いのが自慢でもあった。

掃き溜めであれなんであれ、
独りで生きていく16歳の少年にとって、
大人の世界は甘美だった。
孤独を押し殺して、甘美な世界を堪能するには十二分なアルコールが必要だった。




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