アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

タグ:囚われ

早いものでこのブログを書き始めて1年と2ヶ月近くになる。

当時の日記を読むと、独りで専門医にも繋がらず節酒したり、断酒しようとしたり、色々独りで苦しんでいたことが懐かしい。

今のFクリニックに繋がる直前などは生きる気力がまったく無いようだ。それでも死のうとまでは考えていなかったようだが生ける屍って感じかな?

完全に酒に囚われ、アルコールに人格と命そのものを支配されていたのが分かる。

アルコールとは本当に恐ろしい薬物である。
また入手使用することに何のとがめも無いことが恐ろしい!
色んな薬物中毒を見てきたが、アルコールが一番恐ろしいのではないか?
俺が思うにシャブよりも恐ろしい薬物だと思う。

シャブ中のように短期間で浸かって自傷するという事は無いが、長年にわたって心身を蝕み続けるのだから壊れ方も激しい!

気がついたときには手遅れというのが多いと思う。
俺のように壊れきる前に気付き、アルコールに対して無力であることを認めることが出来たのはある意味で幸せなことだと思う。

仕事も家庭も財産も健康もすべて失ったが、安物の命だけは残った。
今は健康も取り戻しかけている。
無くしたもの全てを取り戻すのは不可能に近いが、新たに造り上げることは出来る。
そのためにも酒を断ち続け、どんなチャンスも逃さないような鋼の心身を作り上げていこうと思う。

もう51歳と思わずに、まだ51歳と思えばいいのである。

どうせ人の寿命など長くて100年!
ガイア46億年の歴史に比べれば瞬間にも等しい刹那な寿命。

酒などに支配されずに自分の意思で生きてみよう!


断酒345日、一年は目の前やなぁ!


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絵画や写真には構図と言う重要な要素がある。

専門家ではないので詳しくは分からないが、同じ物を撮って(描いて)も構図が変わると作品に違いが出てくる。良し悪しも分からないが、作者の意図の伝わり方が変わってくる。

近年はメモ代わりに携帯のおまけカメラで写真を撮ることはあっても、真剣にカメラのファインダーをのぞくことがなくなった。昔は趣味で一眼レフを持ち歩いたものだが・・・

ネガの整理をしていてふと思ったのだが、素人目に良いなと思う写真は必ず飲んでるときのものだ。最低と思われるのは泥酔しているときのものだ。で、ふつーって感じのものは数少ない素面のときのものが多い。

泥酔しているときは多分何も考えずにシャッターを切っているので、最悪なものしかないのは当たり前としても、素面で撮ってるものが普通で、良いかも?と感じるものは飲んでるときというのも逆のように感じるが、しかし現実に飲ってるときのものの方が新鮮な感じを受ける。

おそらく俺の感性ってふつーなんやろう。才能と言うものが皆無なんやと思う。
けど、一杯入ると別人の脳になる。
で、視野というか視点というか、なにか着目するところが飲むと変わってくるのだろう。

野に咲く花を美しいと思えるようになってきたらアル中から回復してきた証だと言う人がいる。本当にそうかなぁ? 俺、酔っ払ってるときサボテンの花を見て感涙してた記憶があるが・・・

酔っ払って家に帰る途中、無残にも鉢から抜かれて捨てられている枯れたパキラを可愛そうに思い、酔った勢いで持ち帰って植え替えたことがある。毎日、話しかけながら水遣りをしていたら元気に茂りだした。

酔う事って決して悪いことではないよなぁ。

酒に飲まれなければ良いよなぁ。

けど、依存症と診断された今は素面で生きる道しか残されていない。
早くからアルコール依存症というものを理解していれば一生アルコールと上手く付き合えたかと思うと残念でならない。

もしまだ依存症になっていなくて、可能性のある酒好きの方がこの日記を読まれていたなら、問題飲酒は避けて依存症にならないよう心がけてください。でないと俺のように一生飲めなくなりますよ!


まだまだ、酒の囚われから抜け出せない俺ですが、断酒225日




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