アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

カテゴリ: 神経症

日記に書くほどのことでもないと思いながら、ここ3週間ほど悩み結論が出ず先送りにしてきた事を今日解決できた。

普通に社会生活を送る上でごく一般的な儀礼。

行うべきか行わないべきか?
行う事が出過ぎた行為のように思えるし、行わなければ非常識なようにも感じるし、案外自分が考えるほど他人は真剣に捉えていないような気もするし、ならば直接はっきり問えばいいものをそれも出来ずに先送り・・・

いったい何のことか、この記事を読んで下さってる方には意味不明でしょうね。
すみません。単なる独り言とスルーして下さい。


今まで自分には十分な判断力があって、行動力も伴っていると自負していた。
ウジウジと細かい事に悩む人を見ていると苛々していた。

しかし実際は、自分自身がそのウジウジ悩むタイプの人間だったのである!
苛々していたのは鏡に映し出された自分を見ているようで、自分は違うのだという強い否認の気持ちが現れていたことにやっと気付いた。

中学を卒業してすぐに家を飛び出し自立するには突っ張って生きていく必要があった。そのためにずいぶん酒や薬物の力を借りてきた。いや、借りるというよりもそれらに逃げてきた。イケイケに世渡りしてきたつもりが、実は酒の力を借りていただけだったのである。

ここ最近の自分は、なんでもかんでも依存症という病気のせいにして現実から逃避しようとしていたように思う。酒さえ飲まなければ何とかなる。そう思い続けてきたが、酒に逃げる代わりに「病気」という隠れ蓑を使ってぬるま湯に浸かっていただけだ。まぁ、飲むよりはましかもしれないけど、人間としてのレベルが低い事には違いない!

しばらく先送りにしながら、気に病んでいた事を思い切って行動に移してみた。

結果、「案ずるより産むが易し」

男である自分が産むことは絶対にないが、このことわざの意味する事は分かるように思う。
些細な事に要らぬエネルギーを使っていたことがばかばかしく思えるほどに吹っ切れた。飲まないだけでなく、少し前向きになれるような気がする!

一皮むけたかも?

断酒 914日
禁煙1753日

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こんにちは、アル中の庄助です。

ここで、「ハーイ、庄助!」
なんて言わないようにお願いします。苦手なんです!(汗)

「アルコホーリックの〇〇です。」
とか、
「〇〇断酒会の〇〇です。」

というのも苦手で、私は何処のミーティングに出席しても絶対に言いません。

「アル中」って日本語があるのに、なにが悲しゅうてわざわざ「アルコホリック」などと業界用語をわざわざ使って陶酔するのかねぇ、私には理解できない!

暴走族の族旗のような趣味の悪い断酒会旗を掲げて、なになに断酒会の誰それです。というのもチンピラが看板背負って粋がってるみたいで鬱陶しい!

まぁ、人それぞれなんで構わないのですが、私は絶対に嫌なので茶々は入れないで下さいとお断りしておきます。(笑)


実はここ一週間ほど、今後の身の振り方を含めて生活設計などを考えていました。
深く考えれば考えるほどブルーになりますが、これは鬱病ではなくて鬱状態。
抑鬱状態なのです。誰にでもある心の風邪引きとでも言うものなのでしょう。

しかし、長年飲酒によって気分をコントロールしてきたアル中にとって、素面で悩み抜くのは非常に辛いものがあります。一杯飲って憂さを晴らして問題を先送りにしよう。と考える癖が付いてしまっているのです。

ここしばらくは順調に、飲酒欲求が近づくことも無く安定した断酒を続けていましたが、やはり私は立派なアル中!悩んでいると例外なく飲酒欲求は近づいてくるのです。

久しぶりにオールドグランダッドの114プルーフをガツンと飲りたい!
などと悪魔の囁きに耳を傾けると、見慣れているはずの酒のコマーシャルにまでそそられてしまうのです。

そんな悪魔の囁きに踊らされ、飲酒欲求に翻弄されている不安定な時、仲間から深夜にメールが入った!

「深夜にすみません。なんかメールがしたくなったので・・・」

ふだんメールのやり取りをすることの無い仲間である。
きっと、やばい気分に違いない。
さすがに同業者、ピーンと来た!

ショートメールを2往復した後、電話がかかってきた。

「飲んでしまってん!」

やはりなぁ、アル中からの深夜の連絡はスリップと相場が決まっている。分かっているのに付き合ってしまった。しかし、大切な仲間。それに2年は止まっていたはず!

延々と深夜の電話は2時間ほど続き、吐き出したいだけ吐き出して楽になったかのように感じたが、素面のアル中とは訳が違う。2年止まっていても再飲酒してしまえばタダの酔っぱらい。酔いと共に溜まった感情が噴出し、電話の向こうで手首を切ってしまったようだ!

自分自身が飲ってしまいそうなほど不安定な気分やったのに、仲間に飲られてしまうと自分がしっかりしなくてはという気持ちから自分の欲求は止まったが、代わりに彼女は手首まで切ってしまった。(幸いにも気合の入ったカットではなかったので良かったが・・・)

深夜のアル中からのアプローチはスリップと相場が決まっているというセオリーはやはり正しかった。そして、どれほど大切な仲間でも酒に酔っている人間をまともに相手すること自体無意味な行為であることもセオリー通り。

相手にさえしなければ、リストカットも無かったかもしれない・・・

素面で過ごす事に慣れていない我々アル中は、根底に心の病を持っている。
一見、酒が止まって健常に見えても心の底にしっかり残った種火を消すまでは再飲酒のリスクは付きまとう。

初心に戻って、今日一日を大切に生きよう!
節根花片喰
断酒 903日
禁煙1742日


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先日からあった言葉に言い表わせない不安感、恐怖に近い説明しにくい感覚。
おそらくパニック障害の前兆だったのだと思うが、今のところ再現しなくなっている。

明確にこれといって説明もつかないままに生き辛いと思い続けていた『なにか』、最近これらの形も見えないまま混沌としていた不安が、ひとつずつ影を潜めて行っているように感じる。消滅しているのかどうかは分からないが、確実に心の中で折り合いがついてきているようなのだ。

たぶん、そういった心の安定が心因性の病を抑えているのだと感じる。

筋肉には過負荷をかけることで筋繊維が断裂し、その傷が回復する時に筋繊維が太くなる。骨折が回復したとき、その骨は太くなって繋がる。関節の可動域を目一杯動かし続けることでその可動範囲が広がり関節はより柔軟になる。これらを超回復の理論とよんでいるが、おそらく精神や心の働きにもそういったものがあるのではないかと最近強く感じる。

肉体が病むと心も病む。先ずは肉体が健康である事、そして心の傷は前向きに悩み葛藤することで折り合いがつく。深く苦しんだ分、精神は鍛えられる。

酒に逃げても解決には繋がらない。
逃げずに鍛えよう!

やはり、根性!
性根を据えたら何も恐くない!
その前に、プラス思考で前向きに!

という事で、今日も一日素面で楽しみましょう!
kyodai_ahiru
断酒 857日
禁煙1696日


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