アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

カテゴリ: アルコール依存症

家族とか親族とか身内、血縁ってなんやろ?
結婚に2度失敗してる俺にとって自分の家族は無い。
存在するけど、無い…

自分と血の繋がる母一人、妹一人は物理的には存在するが、精神的な繋がりはない。

博打に明け暮れてその勝ち負けで荒れ狂う糞親父を憎み、15歳で家を飛び出して以来、親兄弟には一切頼らず独りで生きてきた。妹は俺のように飛び出せなかったからか、自分の殻にこもり、まったく心を開かない。それどころか自分さえ良ければいい超利己主義者なので今はもう付き合いはない。母親は俺が守ってやるという気持ちから遠くには離れず生きてきたが、この人も自分の事しか考えない…
もう疲れてしまった。

頑張って、サービス付き高齢者向け住宅に入居させることもできたが、顔を合わせば不満ばかり。もう会いたくない。

食事にも制限があるのに、どうせ長生きできないからと好き勝手やり放題。そのため緊急入退院を繰り返し、その都度呼び出される。生きるための努力をするならいくらでも応援するし介護もするけど、努力のかけらも見えないのに長生きしてほしいという気持ちにはなれない。

家族には見返りを求める気持ちなんて毛頭ないつもりやけど、顔を合わせたときくらいニコっと笑顔を見せて欲しいと思うだけでも、これも見返りを求めていることになるのかなぁ…

家族って助け合って生きるからこそ大切なのではないのか。
血が繋がってるというだけでいつまでも尽くせるほど俺は出来ていない。
血の繋がった母親に一日でも長生きしてほしいなんて、まったく思えない俺ってなんて薄情な冷血人なんやろ、と思うとどんどん気持ちは落ちていく…

ギャンブル依存症の父親(おおむかしに自殺、俺がこの手でやりたかった。)
そんな糞ったれに共依存していた母親
そしてそんな母親とカプセル母娘の妹

飲んで酩酊して現実逃避すると楽やろなぁ…
ほんま疲れてしもうたわ…


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こんばんは、アル中のsyousukeです。

ずいぶんご無沙汰しておりました。^^;

先日(5/9)、おかげさまで断酒9年達成できました。



断酒会に通いはじめて間がないころ、「断酒〇〇日目です。」と発言したときに、後に断酒会の先輩に言われました。

「最低1年以上酒止めて初めて断酒や! それまでは、体が弱って酒を受け付けてないだけや!」

なるほど確かにそうでした。
ま、1年は大袈裟にしても、長年の飲酒で衰弱しきった体が酒を受け付けるまで回復するには1ヶ月は最低かかる。それまでは止めてるんではなくて飲めないだけ。飲める体になって初めて己の意思で断つという言葉が使える。

花見の時期に飲みたいのを我慢し、真夏にビールの喉越しをあきらめ、秋の味覚にポン酒を避け、凍える真冬に熱燗やウォッカを尻目に耐える。気が遠くなるような四季を無事に素面で過ごして、ようやく断ったと言える。

で、一年酒を断ってようやく「断酒してます」と言えるようになったと喜んでると、

「まぁ10年断って一人前や!」と、言われ

さすがに10年は長い!
でも確かに自分自身があと一年、10年にリーチかけてようやくそれが理解できる。いや、10年で一人前はずいぶん甘い基準かもしれない。俺、あと1年で一人前になれるんやろか?


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アル中のsyousukeです。

今日は愚痴らせてください。(-_-;


自助会もクリニックもしばらくご無沙汰してたので、今日こそは仲間の顔を見に行かねばとクリニックへ向かいました。万が一の事も考えて、無いとは思いましたが念のため、ミーティングの予定に変更ないかとクリニックのHPで確認してから向かったのです。

ところが、ミーティングは臨時休みでした。
わざわざ確認したwebは更新されてなかったのです。

これって、「マーフィーの法則」っていうのかなぁ!
久しぶりやし、通院には半日かかるし、まさかと思いながらも確認したのに…
それでも懸念した事が的中するとは!

webではなく次からは電話で確認してください。って受付で言われたけど、クリニックは9時から、おれ家を8時過ぎには出ないとミーティングに間に合いません。そんな早くに電話しても繋がらんやろ!

クリニックの中にはこの件を張り紙で通告してあったとのことやけど、たまにしか通院せんもんには意味無いと思うねんけど…
(そういや以前にもこんな事あったけど、そのときは代替のミーティングはあったよなぁ)

クリニックに着いて、ミーティングのドタキャン知ってそのまま帰ってきました。

早朝から半日時間を無駄にしてしまった。
時間は午前中だけやけど、せっかくの休日を一日潰してしまった。
その上、低所得者やのに高い電車賃を無駄に使わさせられてしまった!


あ〜〜〜
飲まなやってられん気分を思い出してしまった!
こんな事くらいでは飲らんけどね。(-_-;

これで飲んでしもうたら、交通安全祈願のお守りをもらいに成田山不動尊(成田山大阪別院明王院)に車で行って帰りに事故るようなもんや。(笑)

久しぶりのブログ更新やのに、愚痴ってしまいすんません。
でもお陰さまで、吐き出したらスッキリしました。



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こんにちは。

アルコール依存症の小原庄助です。

おかげさまで断酒継続中です。





またずいぶん長いあいだブログ更新もせずご無沙汰しておりました。これほど放置しているにも関わらず、毎日多くの方がアクセスしてくださる事に驚いています。そして感謝しています。ありがとうございます。m(_)m

おかげさまで素面の生活もかなり板に付いてきたようで、肩肘張らずとも酒を遠ざける事が出来ています。全く飲みたくないと言えば嘘になりますが、過去の飲酒生活のときのような酒があって当たり前といったシチュエーションでも、飲まない事が辛いという感情はあまり現れなくなってきました。飲酒という生活習慣の記憶が薄れ、素面で生きる習慣が優位になってきたのです。今考えてみると、こういった状態になるには相当な期間が必要でした。


焦らずマイペースで!

こう言いつづけて来て、そして言われ続けてきて、その意味がようやく心から理解できるようになりました。身に付いてしまった飲酒習慣を習慣でなくすためには、それこそ習慣化するまでに費やしたのと同等の年月が必要なのではないかと感じます。自分の場合は35年間飲み続けてきたわけですから、35年間酒を断ち続けてようやくリセットなのかも知れません。ちょっと大げさかもしれないけど、案外的外れではないような気がしてます。

実際に強い依存が形成され、毎日飲まずに居れなくなったのは30歳頃。専門医療に繋がって断酒を決意したのが50歳。この間、約20年ものあいだはほとんど酒を断ったことがない。中でも40歳頃からの約10年間は、酒が切れると強い離脱症状が現れる身体依存が顕著になってきていた。それを考慮すると私の場合、少なくとも10年間は酒を断たなければ、アルコールに囚われていた脳の働きは健全化しない。


5月9日(土)で、断酒8年を終え、9年目を迎える事ができました。
(写真の双眼鏡は自分へのご褒美)

おかげさまで、何事もなく平穏に暮らしている限り、飲酒に対する欲求はまったく起こりません。しかし、エチルアルコールが史上最強の安定剤であることは私の脳裏から消える事もありません。

もう少し、焦らず、驕らず、マイペースで!IMG_6419



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みなさん、こんにちは。
アルコール依存症のsyousukeです。



じつは恥ずかしくて書き込めなかったんですが、一昨年秋頃やったかなぁ?断酒会をクビになりました。半年間以上の上納金(会費)が滞っていたからです。以前職業訓練を受けていた期間、予習復習に追われていてとても例会出席が出来ず、休会というシステムも無く、一年間くらい未納になっていました。再度出席しはじめてから少しずつ未納分を追い上げてはいたのですが、

 「半年以上の未納はクビ」

と、総会で決まったそうで、まぁええ機会やし無理に残ろうとはせずに退会したのでした。

もともと断酒会には多くの疑問を感じながらも、他に代わりになるものも見つからなかったので致し方なく席をおいていたという感じだったので、あまり深くも考えずに退会しました。別に断酒会員でなくとも行き慣れた例会に無所属で出席すればいい。会費の変わりに献金すれば良い。そんな感じでしばらく出席してはいたのです。

しかし、なんと言うか、「縛り」がなくなると足が遠のいてしまうものなんですね。
強烈な飲酒欲求に苦しんでいる頃なら藁にもすがりたい心境でしたが、それほど苦も無く酒を止め続けれるようになった今、藁では満足できない。断酒会の例会に対する価値観も相当に落ちてしまって魅力を感じなくなってしまっている。

しかし、アルコール依存症が完治したわけではないのです。
前回の記事のように、いつ飲んで楽になろうと考えてしまうか分からないのです。


やっぱ、仲間の中でしか安心して生きていけない体になってしまったことを痛感しています。
身近な信頼できる仲間の多くは、社会復帰と共に医療や自助から離れてしまったり、再飲酒して死んでしまったりで残り少なくなってきました。また新たな仲間作りからはじめないといけません。

幸いにもクリニックにはたまにしか通ってはいませんが繋がり続けています。
クリニックにはミーティングもあるので助かっています。
そういえば、先日院内のミーティングに参加したとき、マリアテレサ(PSWの先生)がおっしゃいました。

 断酒することを、大事業と言ってる方がいらっしゃいます。

自分以外にも、こんな表現する人が居るんやなぁ、と感心しながらも分かち合えたのでした。
(笑)


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こんにちは、お久しぶりです。
アル中のsyousukeです。
おかげさまで、なんとか断酒継続させていただいております。



ずいぶんご無沙汰してました。
半年以上、更新もせず放置していたにもかかわらず、毎日たくさんの方が訪問してくださることに驚いています。それほど、アルコールとの付き合い方に疑問を感じてる方が多いのですね。

じつは今年になってから再飲酒の危機がありました。
ずいぶん長い期間、安定していたのに・・・
飲んで楽になる道を選びかけてしまったのです。

かろうじて飲酒には至りませんでしたが、相当なうつ状態になり、気持ちに折り合いをつけるのに1週間かかりました。まだまだ落ちたままですが、ブログに吐き出してみようと思えるくらいには自分を取り戻せました。

先週、野暮用があって離婚した元かみさんと会う機会があったのです。
自分としては久しぶりなんで色々と話したいことなどもあり、楽しみにしていたのですが、当日約束をすっぽかされ、翌日に仕切りなおしたのです。そしてそのことを切っ掛けに口論になってしまいました。喧嘩する気なんて毛頭無かったのに…

離婚を決意した女性に対し縁りを戻せるなんてことは考えてはいませんでしたが、年賀状はくれるし誕生日にはメッセージのメールもくれるので、友達としてのスタンスで居れるものとばかり思い込んでいたのです。しかしそれはたいへん甘い思い込みでした。

自分自身、相当努力して断酒に踏み切り、そしてそれを継続している。
その思いから、酒に溺れていた頃の愚行は綺麗さっぱり時効になってるくらいに思っていたのです。
しかし考えてみれば、生計を共にしている間に校正したのであればその過程も見知ってもらえるけど、酒に溺れてるときの自分しか知らない元かみさんにとってはそのときのまま時間は止まってるはず。

一度失った信用の回復が難しいことは分かりきっていたが、生計を共にしていても難しいのに、自分のようなケースでの信用の回復はありえないほど困難であることを思い知ったのです。

じっさい思い知ったおかげで、落ち着きを取り戻せたのかもしれません。
これが、受け入れるということなのでしょう。少しだけ分かったような気がします。


苦しいときに分かれる夫婦って何やろ?と、元かみさんを恨んでみたり、元かみさんが離れてくれたことで底つきする切っ掛けになり酒を止める事が出来たと感謝してみたり、そのときの都合で感情がぐらついてしまう。

ようは、自立心が薄く、他人に対する依存心が強い、弱い自分に問題があるのだと…
ちょっと酒が止まってるくらいで、慢心してはあきませんな。
もう少しのところで飲んでしまうところでした。(-_-;


このブログに訪問してくださる方たちの中には、ご自分の酒の飲み方に問題を感じ始めてる方も多いことと思っております。酒を止めるのは大変な事業です。しかし飲み続けると大切なものを次々と失って行きます。
出来ることなら家庭を崩壊させる前に、気付きのあらんことを祈っております。


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キビタキ

いま一番お気に入りの鳥、『キビタキ』 です。^^


こんばんは〜
アル中のsyousukeです。
お久しぶり〜
約4ヶ月ぶりのブログ更新です。



おかげさまで断酒継続させていただいております。
気がついたら、断酒7年達成しておりました。
連休前までは覚えていたんですが、あれやこれやとバタバタ過ごしているうちにすっかり忘れてしまってましたが、大好きなアルコールとバイバイして8年目になりました。^^v

勤めの方も何とか新たにもう1年はクビが繋がりそうで、3年目です。
昨年の秋までは、おふくろの介護にくたびれてしまって飲んで楽になりたいなんてことを考えることもありましたが、今は 『サービス付き高齢者向け住宅』 という施設に入居して落ち着いてくれてますのでひと安心しています。

それから、いままで花の写真にはまってましたが、この春から鳥撮りに目覚めてしまって、時間があれば鳥を探しにあちこち走り回っています。もちろん植物たちもあいかわらず追いかけています。アルコールという嗜癖の代替がカメラになっただけかもしれませんが、おかげで 『酩酊』 という酔いの感覚を忘れることが出来ています。

正直なところ、ここ数ヶ月は飲みたいという感覚はありません。
でも言い換えれば、アルコールの怖さも忘れつつあるのですね。


飲酒欲求もなくとても良い状態が続いてるからこそ、再飲酒の危機感がない!

こんなときに何か問題が起きれば飲ってしまう。


最近そんな不安が新たに生まれてきました。
もう大丈夫。なんて有頂天になってると最初のひとくちに手をつけてしまう。
アルコール依存症というものが、そんな病気であることを思い出さなくては…

何年も酒を断っているのにたった一杯の酒で落ちていった仲間を何人も見ています。
そこから立ち直れずに亡くなっていった仲間も何人も見てきました。

明日、久しぶりに例会出席してみよう。


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じつは数ヶ月前まで、自宅で飲むコーヒーはインスタントと決まっていた。
挽き豆から入れたコーヒーが嫌いなわけではない。
ただ、インスタントコーヒーの利便性がドリップなどの追従を許さなかっただけ。

もう古い話しやけど、テレビドラマの 『ガリレオ』を見ていたとき、主人公の湯川 学(福山雅治)がインスタントコーヒーを愛用している。単に「レギュラーを入れる時間が無駄だから」という合理的な考えからということやった。

役柄とはいえ、こんな考え方が自分以外にもあるということにとても共感でき、さらに、「インスタントコーヒーは科学文明の匂いがする。」 という台詞、これにも大いに共感できた。

ま、ガリレオの話は置いといて、とりあえず長い人生、自宅ではインスタントコーヒーというのが相場だったのが、最近ペーパードリップするようになりました。

だからどうしたというわけではないねんけど…

むかしの自分が、自宅で飲むものといえば、エチルアルコールを含有していない飲み物なんてありえなかった。そんな関係もあって、自宅でコーヒーを飲むこと自体、まずありえなかった。

最近はコーヒーを楽しめるようになってきた。
酔いを醒ますためのコーヒーではなく、ほっとするひと時を楽しむために…
そうすると、コーヒーを入れる過程までが楽しめる。

パーコレータ

むかし、分かれたかみさんがパーコレーターを使っていたのを思い出した。

ペーパードリップで香りを楽しむのもいいけど、パーコレーターの動作を眺めながら、アメリカンを入れてみるのも良いかも?

そう言えば、このブログを書き出した頃は、焼酎を飲りながらでした。

今日は、穏やかに素面で過ごせています。


キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) 18-8ステンレス製パーコレーター3カップ M-1225



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やしきたかじん
 歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが死去していたことが7日、わかった。64歳だった。昨年3月、食道がんの治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。

 やしきさんは、京都を拠点にシンガーソングライターとして活動を開始し、昭和51年に「ゆめいらんかね」などでデビュー。59年の「あんた」、61年の「やっぱ好きやねん」がヒット、脚光を浴びた。

 また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから“浪花の視聴率男“の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。

 一方で、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた支援活動に携わったほか、橋下徹大阪市長の相談相手としても知られていた。

 やしきさんは、一昨年1月に食道がんの診断を受け、同月末からすべての芸能活動を休止。4月に内視鏡手術を受け、昨年3月に芸能活動を再開したが、5月に体調不良を訴え、再び休養に入っていた。
sanspo.com より引用



ぺらっぺらな芸能人が多い中、尊敬できる数少ないタレントさんでした。
ご本人の飲み方を自分の目で見たわけではないけど、常日頃のトークをお聞きしていた限りでは残念ながら我々と同じアルコール依存症。仮に依存症でなくとも、過度なアルコールの乱用は日常のものだったのではないかと…

食道ガンが、強いアルコールの飲用に起因する事も我々アル中の常識です。

たかじんさんが亡くなられたことは本当に残念ですが、いま一度アルコール乱用のリスクを強く胸に刻みながら、たかじんさんのご冥福をお祈りします。


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2014恭賀新春
大阪城公園内豊国(ほうこく)神社絵馬引用


新年あけまして、おめでとうございます。
おかげさまで、なんとか無事に素面で新年を迎えることができました。m(_)m

旧年中は、正直なところ断酒できて当たり前とばかりの驕った気持ちになっており、再飲酒の危機もありました。もう少しで振り出しに、いやマイナスからのスタートになるところでした。マイナスからスタートできていればまだいいけど、もし飲ってれば、おそらく今頃は連続飲酒に陥って新年を迎えることはできなかったでしょう。本当に紙一重の人生です。


飲んで死ぬか、素面で生きるか?


今年は改めて自分はアルコール依存症者であることを肝に銘じ、ふんどしを締めなおして生活していきます。

私のように気の緩んでいる方、失敗してしまった方、これから断酒を決意される方、
皆さん一緒に頑張って行きましょう。

アル中、小原庄助


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こんばんは、アル中のsyousukeです。
おかげさまで断酒継続中です。


が、じつはかろうじて継続中と言うのが正しい…

昨日、何もかもが嫌になって泥酔したいと本気で思い、もう少しで酒を買いに走ってしまうところでした。後先考えずに短絡的に自棄になる。この性格は飲んでいたころと全く変わっていない。自分にとっては何十年とも感じるほどの長い時間を素面で過ごしてきたつもりでも、こういった性分は簡単には変わらない。

今日、診察を受けに行くと主治医と約束していました。
しかし昨夜は、もう診察なんてどうでもええわ…

何件か決まっている忘年会も全てキャンセルしよう。
なんか人と会う気にもなれん。

やっぱり飲んで憂さを晴らそう!
飲んで楽になろう。

こんな考えが頭の中をぐるぐる駆け巡るのでした。
正直死んでしまいたいのに死ぬ勇気がない。
だから飲んで酩酊して逃げ出したいというのが本音。

自分から死んでいった仲間の気持ち、きっとこんな感じやったんやろなぁ。
自死していった仲間達のことを思い出し、もう少しで自分も決心する所でした。


今日一日

なんとなくこの言葉が頭に浮かび、とりあえず今日は飲まずに明日もう一度考えよう。
そんな気持ちになれて昨夜はかろうじて飲まずにおれたのです。

今朝、寝過ごしながらも飛び起きてクリニックへ走りました。
本当は、仲間にも会いたくなかったし、当然ミーティングにも出たくなかった。
けど気が重いまま、診察の待ち時間の間にミーティングに参加して正解でした。
昨夜のことを吐き出したらずいぶん気持ちが楽になったんです。
もちろん吐き出した所で問題が解決するわけでもないが、自分自身の考え方を変えることができた。ぐるぐるの螺旋階段を下り落ちるように後ろ向きの考え方になっていたのが少し、前向きに方向修正ができたようです。認知の仕方が変わったんです。

もちろんその後、信頼できる主治医の顔を見ただけで癒されました。

急性期の離脱なんてはるか昔に乗り越えた今、
安定剤なんて要らない。
もちろんアルコールも要らない。
考え方の方向修正するきっかけだけもらえばなんとかなる。
これが、通院であり、ミーティングなんや!

分かってるのにねぇ…
もう少しで、魔のスパイラルに落ち込んでしまう所でした。

おかげさまで今日も一日断酒。


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Canon PowerShot SX50 HS


こんばんは。
アルコール依存症者のsyousukeです。
ずいぶんご無沙汰しておりましたが、なんとか断酒継続中です。


普通、私のようなアル中が世間に顔を出さずにいると、まっ大体において再飲酒して引き篭もって糞尿にまみれて死にかけてるか、入院してるか、懲役に行ってるか、あの世に行ったか、というところが相場なんですが、残念ながら元気に素面ですごしておりました。
何度か、飲んでしまいそうな小さなピンチはありましたけどね。(笑)


じつは、過去何度か愚痴らせて頂いた事もあるのですが、おふくろの介護(病院への入退院や、介護施設への入退所、介護付き住宅への引越しなど)に追われてバタバタと過ごしておりましたが、おおかた片付いて以前の生活のペースに戻りつつあります。

長かったですわ〜 おかげで、何度飲んで酩酊して逃げ出したら楽になれると思ったことか…

飲んでも解決できない事は嫌と言うほど分かってはいるものの、その場が楽になることも、今まで嫌っちゅうほど経験してきただけに頭の片隅にはしっかり記憶しています。エチルアルコールほど効果のある安定剤は他に存在しませんからね〜(汗)

でも、ぎりぎりでも飲まなかったおかげで、おふくろの身の回りの問題もなんとか無事に解決できました。飲んでたらあかんかったやろなぁ…

多分いまごろ自棄糞になって酒に溺れて、冒頭の世間の予想通りになってたはずです。(笑)



ということでなんとか無事に来れたので、久しぶりに写真でも撮りにと 四天王寺ワッソ というイベントに行ってきました。7世紀古代大阪と高麗半島の国々との交流を再現したお祭りなんですが、以前から古代の大阪の歴史に興味があったので今年も楽しみにしていました。

昨日からの雨模様で中止になるかもと心配していたのですが、午後からは天気も回復に向かうと勝手に思い込み、昼過ぎに会場に出向いてみるといきなりの大雨に降られ、仕方なくしばらく阪神高速の高架下で雨宿りしてました。

青空会場でのイベントです。
皆さん同様に雨宿りに集まってきました。
やはりお祭り、多くの人が缶ビールやチュウハイを手に手に持って!

まぁそれほど羨ましかったわけではないのですが、もうそんな時期はとうに過ぎてるし…
ところがですよ、さすが 『在日の祭典』 とも言われるだけあって、瓶入りのJINRO(眞露)をラッパ飲みしてる人がいるではないですか。これにはちょっと羨ましかった。スピリッツが食道を焼くように通過する感触、鼻腔に抜けるアルコールのバックアロマ。こんなものをリアルに思い出し、危なくスイッチが入るところでした。(汗)

何年経っても禁断のスイッチは錆び付かずに残っているのです。

アルコールに対する身体依存こそは、もう回復して何年も経つけど、アルコールの効能自体はいまだに忘れる事は出来ず、精神的な依存はまだまだ回復からはほど遠い。

アルコール依存症、ほんまに難儀な病気ですわ!

今日も一日断酒。これしかないですな。^^;


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こんにちは〜

アル中のsyousukeです。



11〜12年前くらいかなぁ、自営業を廃業して、かみさんとも別居の話がまとまって、なんかもうすべてが嫌になって投げやりになって、でもなんとかせんとあかんって気持ちが複雑に入り組んで、プライドだけが高いままなのが邪魔して仕事も見つからず、ようやくみつけた仕事がコンビニの夜勤のバイト。

時間給が高いことだけを理由に夜間勤務を選んだが、まさか一人だけの勤務とは思いもしないまま仕事をはじめた。深夜にもかかわらず、コンビニってところは結構たむろする人が多くて、それに商品の入荷が深夜に集中してるってことと、店内の掃除なんかもあってかなりの激務でした。

最初の頃は慣れない仕事のため時間に追われ、要らぬ事を考える余裕などまったくなかったけど、次第に仕事に慣れると共に、時間にも余裕ができてきて、ふと息をついたときに、

 飲りたい!

と飲酒欲求が出てくるんです。
そうなると、店内には売るほど酒類があるわけですから我慢などできるわけがない!
100円のパックの 『鬼殺し』 に手を付けるようになったんです。自分が買ってるのが分からないように防犯カメラを意識しながらレジ打ちをして…

当時はまだ気付いてはいなかったけど、離脱症状でのひとつである 『激しい下痢』 にも襲われていて独り勤務が苦しかったけど、鬼殺しを隠れ飲みするようになってからは下痢も手の震えも止まりました。(もちろんアルコールの効いている間だけ)

もちろん仕事中に飲酒するなんてあかんことは重々分かっていても、このパックを飲んだら最後にしよう、そう思いながら止める人間も居ない深夜の独り勤務。セキュリティ用の監視カメラの死角に回りながら、ちびりちびりと朝まで飲み続け、毎晩5本くらいの鬼殺しを飲んでいました。そして、勤務開けの朝、また380円の安物のボトルワインを買って中身が分からないように紙袋に入れて店外でラッパ飲みするのです。

約3年間勤めたけど、結局は深夜勤務中に客と喧嘩してしまいクビになってしまいました。

嫌な思い出です。
とてもあの頃のように、酒に縛られて生きるのはまっぴらごめんです。
にもかかわらず、せっかく苦労せずとも酒を止めれるようになってるのに…

飲み会に参加すると、みんなといっしょに酒を飲んではじけたい。
などと愚かな事を考えてしまう自分が恐ろしい!

昼例会に行ってきます。


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Canon PowerShot G7




エアコンの手放せない暑い日が続いています。

冷えたビールや、冷酒の誘惑に負けず、

素面で乗り切りましょう。


アル中 syousuke       平成25年 盛夏




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こんにちは、アル中のsyousukeです。


ここ何年も、べったりではないけどおふくろの介護に追われて何処にも行けない生活が続いています。長年酒に溺れていた時は、酒さえあればそれで良かったので不満は無かったけど、酒を手放した今、おふくろの事も見てやれるようになったのは良いが、自分も酒以外に楽しみたいという願望も出てきて困ってしまう。

千度やりたい放題生きてきた償いは当然やけど、少しは俺も息抜きがしたい。
と、わがままやとは思いながらも、日帰りでミニ旅行に行ってきました。

念願の 『伊吹山』に写真を撮りに!
しかし、やっぱり神さんは許してくれへんかったらしく、土砂降りの雷雨。
雨が止んだと思えばこんどは濃霧。楽しみにしていた山頂からの眺望もまったく望めず、カメラはレンズの中にまで水滴が付き、もう踏んだり蹴ったりでした。
山の天気が変わりやすいのは仕方ない事と思いつつも、ストレス開放しに行って、ストレス・マックスにして帰ってきました。

この際、キレついでにもう一度リベンジに行ってみようとは思ってますけどね。(汗)


ところで、このブログも過去ログがたまってきました。
他のWEBサイトへのリンク切れをチェックしようと少し過去ログを見ていると、むかしは面白いことを書いていますねぇ。自分で書いていながら懐かしいし、面白い。


 カニと熱燗、てっちりとひれ酒

 スキーとウォッカ

 焚き火とバーボン

 こんな組み合わせで脳に、体に、インプットされている。



そう言えば当時の頭の中は、朝から晩まで一日中アルコールの事を考えてたよなぁ。
飲んだらあかん理由を無理やり探して、毎日毎日、酒害を思い起こして、アルコール依存症や薬物依存症の事を勉強して、ふとしたことで湧きあがる飲酒欲求を押し殺して、思い起こせばほんまに命がけで断酒に取り組んでいた。

もちろん今でも気を緩めたらいつ飲んでしまうか分からない。
じっさい、最近は緩みっぱなしやし…
たまには過去ログを読み返しながら、自分はアルコール依存症であることを強く刷り込む作業を続けなければあきませんな。

だって俺、紛れもなくほんまもんのアル中やし。


命がけ
http://syousuke.livedoor.biz/archives/64808572.html


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こんばんは、アル中のsyousukeです。


私は、心の底から本音だけを正直に吐き出すことのできる例会が好きです。
そして、飾ることなく正直に体験を話す仲間を大切に思っています。

そんな例会があるからこそ断酒継続できているのだと思っています。
われわれアルコール依存症と診断されている者にとって、酒を手放して生きていこうとする仲間の存在は絶大です。この渦の中でしか我々は生きていけない。そう思っています。

しかし私は断酒会という組織を好きになれない。

完全断酒できていないのを知ったうえで断酒継続表彰してみたり、酒の止まっていないアル中を役員にしてみたり、資格の無い人間にセミナーを受けさせてみたりと、一部の幹部の私利私欲のためにやりたい放題が横行する。こういった組織を好きになれるわけが無い。

実際には腐った幹部も世代交代し、組織の浄化は進んではいるようだが、一度腐敗した組織を正常化するのは簡単ではない。そして、組織の腐敗臭を嗅いでしまった俺自身の懐疑心を払拭する事もとても難しい。

現実問題として、会員数が年々減っていくのにはやはりそれなりの理由があっての事。問題の解決を先送りにして、減るから新規入会員を増やすでは付け焼刃に他ならない。


今日、ホームの例会ではなく、地域の合同例会に出席してみた。
もう何年ぶりかなぁ、4〜5年ぶりくらいか?

断酒表彰が行き成り3年表彰からはじまって、5年、間が飛んで20年くらいやったかな? それから30年選手と…

要するにずっと続いてる古参は残ってはいるが、新しい人は続かないという事。
3年、5年の中堅はとりあえず残ってはいるが不安定というところか?

『断酒会は社会の縮図』なんてよく言われるが、まさしくその通り。
完全に老齢化して、残っているのは古参のみ、見慣れぬ新人さんにはほとんど出会えなかった。

腐った輩もほとんど見かけなかったが、言い換えれば差し障りの無いように穏便に組織を運営する保守派が大半という感じで、魅力の無い組織に曇り果てている。(保守派というのは体験談も差し障りの無い程度のことしか語らないし、酷いのになると嘘で塗り固める)

他に代わりになるものが少ないから仕方なく断酒会に席は置いているが、ぼちぼち見切りをつけて代わりを用意しないとあかんよなぁ…

さてどうしたもんか。



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こんにちは。
アル中のsyousukeです。


今日は久しぶりの快晴です。
雨も降ってもらわねば困りますが、やはり晴れると心はずみますね。
こんな日に、ブログを更新している場合ではない。カメラを持って出かけなければと気はあせりますが、今日は午後からホタルを探しに行くことに決めたので、少しのんびり自宅で過ごしています。

じつは昨日、例の飲み会(有志のみの別口の送別会)でした。
断酒と共に、何年も封印していた 『ミナミ』(大阪の繁華街) を深夜まで素面で徘徊してきました。

私の青春時代は波乗りとディスコに明け暮れていました。今時はホールの事を 『クラブ』 なんて呼んでいますが、当時はディスコですら新しい言葉で、 『サパークラブ』って呼んでいたのが懐かしい。 この頃のライフスタイルが、そもそも酒と薬物に浸かりはじめたきっかけだったのです。

そんなライフスタイルの背景が 『ミナミ 』、当時は路地裏の路地まで知り尽くすほど、どっぷりつかったミナミの住人でした。

昨日の飲み会の2次会に、幹事役の若い女の子がダーツバーをセッティングしてくれていました。なんせ長年盛り場を封印してきたのでダーツバーなどというハイカラなものは初体験、なんか禁断の園に近づくような気持ちでわくわくしながら行くと、


 なんや、この店まだあったんか!
 俺の後輩が用心棒してたホールやんけ。

すっかり今風のバーに変身してましたが、馴染みではなかったけど知った店でした。
店内にはダーツのほかプール(ポケットビリヤード台)もあったので、懐かしさのあまりキューを手にしました。


ハスラー


バーの店員さんに、お飲み物は何になさいます?
って聞かれて間髪入れず、

 J.T.S.BROWN

と、言ってしまって、すぐさま 『ノンアルコールビール』と訂正したが置いていないらしい。仕方ないのでジンジャーエールを注文した。

俺の脳みそはまだバーボンを覚えとるわ〜 と思いながら、バンキング勝負に入るとむかしのように突けないのに、マイ・キュー持参で玉屋に通っていた頃のことがフラッシュバックする。

仕事の延長のような飲み会ならば自分も飲みたいなどとほとんど思わないが、気心の知れた仲間達との飲み会は少し様子が違う。

自分も飲んでいっしょに弾けたい。
こんな気持ちが湧き上がってくるのだ。
そのうえ、まだまだアル中の脳みそには飲んでいた頃の楽しい記憶が残っている。
 
昨日の夜は、酒が近づいてきているのを感じた。
いや、俺が酒に近づいていってるんや!

気を引き締めないと、飲ってからでは遅すぎる。


ps、今、なんとなく 『玉屋』 をググって見たら、某婦人服屋さんや某花火屋さんしかヒットしない。玉突屋(ビリヤード屋)の事を玉屋って普通に呼んでたけど、あれってマイナーな言葉やったんかなぁ…(汗)



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こんにちは、アルコール依存症のsyousukeです。

先日職場開催の飲み会(送別会)がありました。
有志のみのお別れ会が今週別口で予定されてるので私は不参加でした。
飲んでいた頃の私なら全ての会に参加していましたが、今となっては会費がバカくさくて、どうしても選んでしまいます。^^;

じつはその先日の送別会の翌日以降、とある職員さんがマスクをして出勤されてました。

風邪でもひかれましたか?

とお尋ねすると、じつは飲み会で飲みすぎて記憶がない。
気がつくと救急車に乗っていたが搬送先の病院で受け入れ拒否され、その後救急車で駅まで送ってくれたが、どの駅で降ろされたかも覚えていない。
どうも気を失って倒れているところをどなたかが119通報してくれたらしいが、どこで倒れていたのかも記憶がない。そして気がつくと前歯が折れていた。
とのことでした。

その後、もう一度ご自分で救急車を呼んだとのことですが、やはり病院で受け入れ拒否されたようです。
(二度も救急で受け入れ拒否されるからには残念ながら、相当酩酊していたと思われる)

この職員さんとは何度か酒の席でごいっしょしてますが、私の30代頃の飲み方に非常によく似ているのです。絡む事もなく、気配りしながらマナー良く飲む。しかし、舌がもつれてからも延々と飲み続ける。しかもハイピッチで…

このひと、本当に酒が好きなんや!
そう思うと、とても親近感を持てるのです。
しかし、このまま今の飲み方を続けると俺と同じようになってしまうあぁ、と懸念もしていました。

ご本人はとても気配りの利く仕事のできる方で、とってもシャイな方です。
気配りが利き、シャイというところはたぶんAC気質です。
そのうえ、むかしの私と似た飲み方。
お仲間としての十分な資質をお持ちです。

今回の件で、この方はかなり落ち込んでいらっしゃいました。
そして、歯が治るまでは飲まない。ともおっしゃっていましたが、落ち込んでいらっしゃる割には酒を止めるではなく、歯が治るまでの禁酒というところに問題を感じたのです。

アルコールに対する健常者はそこまで酒にこだわりません。
期限付きで飲まないなどと飲酒復活を前提にしないのです。
言い換えると、酒は絶対に止める気は無いので怪我が治ればまた飲みます。
今度はブラックアウトしないように気をつけながら。
という事なんですね。

『精神依存』が形成されているのは間違いありません。
離脱症状の起きない、もしくは気付かないほど軽症の今なら酒を止めるのは肉体的には辛くない。今なら苦しまずに止めれるのですが、なかなかアルコールの魔力からはそう簡単には逃れられない。かといって私のように離脱症状が激しく現れるまで身体依存してしまうと、よほどのことがない限り止めたくとも止めれなくなる。早くご自分のステータスに気付いて欲しい。


参考までに!
アルコール依存症の進行プロセス ASK(アスク/アルコール薬物問題全国市民協会)


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こんにちは。

アルコール依存症のsyousukeです。



社会復帰して2年目です。
4月に無事に再契約できたので、今月(6月)末までは安泰なんですがその後が少し心配です。基本一年契約なんですが、予算の関係でいったん6月末まで、無事に予算が決まれば来年度の3月末まで首が繋がります。そしてまた再契約。パート職といえど、決してお気楽モードでは暮らせません。

それほど厳しいご時勢にも関わらず、相変わらず好き嫌いの激しい私の性格は簡単には変わらないようで、職場での対人関係のストレスに日々悩んでいます。

しかし、思い起こしてみればずいぶん気が長くなったものです。
昨年の4月に今の仕事に就いてから今日まで、何度キレそうになったことか!

飲んでいた頃のように後先考えずに暴れてスッキリしたいと思う気持ちと、先のことを考えると簡単にキレるわけに行かないという自制心とのあいだで揺れる気持ちに葛藤することは多々あるが、その気持ちを消化するに必要な時間は短くなってきている。

考えてみれば、2年半前社会復帰を射的距離に置いて職業訓練を受けていたころ、テキスト棒読みでツボを抑えてくれないレベルの低い講師に頭に来て、「もう止めてやる!」その気持ちのままアドレナリン沸騰させて授業を受けて、一日何も頭に残らなかったことを考えると、キレそうになっても数分であたまを切り替えることができるようになってきた。

酒を断ってから何年経っても、過去を振り返って見るたびに現在進行形の回復途上であることに気付きます。

『苛々3年、まあまあ5年』
酒を断ちはじめたころ断酒会で覚えた言葉ですが、当時は、


苛々が消えるのに3年もかかるんか!
5年も酒止めてもまぁまぁなんか!
気が遠なるなぁ、どうせみんな大袈裟に言うとるんやろ。
まぁ、根性で一年も酒止めたら、こんな辛気臭い業界バイバイじゃ〜


こんな風に思っていたことが恥ずかしい。
実際、今考えても酷い苛々が消えるのには4年かかっている。
そして断酒7年目に入っている今、ようやくまぁまぁかな?

iraira

この自分のブログ内を、 右図のように『苛々』 で検索してみると、自分の苛々ぶりが出てくること、出てくること!

アルコール依存症との戦いは、 『苛々』 との戦いでもあることがよく分かります。

なんせ、苛々するたびに、

『飲まなやってられんのぅ』

こう感じて、病気に飲まさせられていたのです。
もちろん今もその気は残ってはいますが…

昼例会に出席してきます。


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こんばんは、アル中のsyousukeです。

入退院を繰り返してるおふくろが先週半ばに退院して、その週末に介護老人保健施設に入所しました。入退院のたびに送り迎え、そしてドクターに呼び出されての説明、老健に入所しても週二の面会、月一の介護計画の打合せ、毎回の事なので心の準備は出来てるものの、さすがに何年も続くときつい…

おまけに今度は次の施設(特別養護老人ホーム、もしくは高齢者向け賃貸住宅)を探さなければなりません。

いずれ訪れるであろうこの現実のため、自分の社会復帰にフルタイムの仕事を避けてパートタイムを選んだものの、パートでも続けることが難しいのではないかと思われるくらいいっぱいいっぱいで時間が足りない。例えパート職と言えどこのご時勢、失職するわけにもいかない。

どうもこのようにゆとりの無い生活に追い込まれると、得意の逃げ出したい願望が現れてしまう。

別に飲みたくも無いのにハードリカーをガツンと飲って、酩酊してしまいたいと考えてしまう。もちろん何の解決にも繋がらないどころか、問題を先送りしてしまうだけである事は理解していても、やはり今楽になりたい。きっと、精神安定剤を服用するのも同じ一時しのぎ、薬物がエチルアルコールからベンゾジアゼピンに変わるだけ。

そう考えるとアルコールは俺にとっては至上最強の精神安定剤や!

なんて考えてしまう。

5月9日に断酒6年を無事迎えました。
しかし、たとえ6年間一滴のアルコールにも手を出していないといえど、長年自己流の治療法(飲酒)で解決してきたその後遺症は消えてなくならない。

根っこに潜む、アル中の種火は今もしっかり存在している。


先週、うちの昼例会には参加できなかった。
そのため、今日の例会は待ち遠しかった。
やはり、例会に出席すると気持ちが落ち着く。

断酒7年目にして、俺は仲間の集う例会の空気の中でしか生きていけないことをさらに確信した。

親の介護、考えてみれば誰もが平等に経験しなければならない問題や!
自分の人生が残り少ないと思うから重荷に感じてしまうけど、ま、そのうちええこともあるやろうと考えればそれほど負担でもない。

と、能天気に考えれるよう自分に言い聞かせよう。


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