アルコール中毒者の小原庄助です、こんにちは〜
おかげさまで断酒継続中です。
先日とあるミーティング(断酒会ではない)に出席したとき、となりに居合わせた方がご自分の発言を終えられてから、なにやらプリント資料をガサガサとけっこう大きな音を立てながら読んでいらっしゃる。おまけに、ぶつぶつと独り言をいいながら、そのプリント資料になにやら書き込んでいらっしゃる。他の方の発言中にも関わらず、一生懸命なにやら『内職』をしておられるのです。
まぁ、この業界にはいろんな方がいらっしゃいますが、やはりミーティングの発言中に内職はいかがなものかと感じるわけでして、ましてや音を立てながら、独り言をつぶやきながらは堪忍して欲しい。それによく見ると、なんと断酒会関連のプリント…
きっとこの方は、断酒会の何がしかな役を受けてそのための準備をしていらっしゃるようだが、それはご自宅でやること。他のミーティング会場で他人が発言している最中にやることではない。となりに居合わせた私は終始、苛々させられストレスマックス!
(どうせやるなら静かにやってくれ)
ミーティング終了まで切れずに我慢できたものの、とてもその方の行動を反面教師として受け入れる事などできない心の狭い私は、一応ソフトにですが、その方に注意しました。
しかし彼は、「いや、断酒会の…」と言い訳をされるのです。
もうそれ以上は何もいいませんでしたが、ただ酒が止まってるだけではねぇ…
ま、自分も気をつけなければと時間が経った今、彼を反面教師として受け入れることができましたが、しかし腹立つ。断酒会にはこんな人がとても多くいらっしゃる。それも幹部に…
タイトルの『第二の否認』、最近今まで以上に依存症業界でよく耳にする言葉です。
アルコール依存症という病気を認めて酒を手放しても、酒に頼らなければ生きていけなかった本来の心の病を放っておいて本当の回復はない。自分勝手なわがまま気ままな生き方自体、病んだ精神の成せる業。その根っこの病(飲酒以外の問題)を認めないこと、これを第二の否認と呼んでいます。
アルコール依存症、酒を止めるだけでも大変なことなのに、まだそれ以上に取り組まなければならない問題山積みの心の病です。
今日も一日断酒、先は長いです。
ps、私は過去に間違った教えを受けて、「第二の否認」を「二度目の否認」と誤った解釈をしておりました。過去、再三にわたり間違った解釈のまま記事にしていたことをお詫びします。m(_)m



コメント
コメント一覧 (9)
『第二の否認』、わかります。
私は2回のアルコール専門病院の入退院を経て、今に至ります。
失ったものは有形無形の違いはあれど数知れずです。
人生の失ったものを取り戻している最中です。
同時に、人生をやり直しています。
幸い、妻子と家と仕事は無くさずにすみました。
失わずに済んだ妻子や仕事がやり直しの対象です。
取り戻す、やり直すとなると障害になるのは、自分の問題でした。
『アルコール依存性になって良かった』というつもりは全くありませんが、向き合うきっかけになったのは事実でした。
そして、向き合えたから、我慢の断酒をしているつもりはありません。
でも、向き合っても、簡単には人間は変わりませんね。
正直、断酒より難しいです。
自分の問題を認めているのに、ふと気づくと人を見てしまう。
そんな繰り返しです。
syousukeさんのブログはハッとさせられます。
私が2回のアルコール専門病院を退院して読んだ3つのブログの1つで、後の2つは無くなってしまいました。
コメントするのは2回だと記憶していますが、改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
勉強不足ですね・・・・
私の根っこの病は、多分ですが、辛く悲しかった過去です。
お勉強になりましたm(__)mありがとうございます。
syousukeさんの言われるように、ここを見ないといけないですね。
断酒会も、高齢の方は酒を止めているだけで十分(あるいは得意)、弱年層は人生観がハチャメチャで、両者、居場所としてはとても居心地がいいところです。
しかし、30,40代の方は、酒で違えた人生を、これから建て直していかないといけない世代です。
仕事、会社、家庭とも、危機あるいは破滅の状況にあります。
会として、的確なアドバイス、相談に乗ってあげてないのが現状です。
断酒会も、ようやく第二の否認の解除やアクションプランなどを掲げるようになってきました。
こういう人たちに、微力ながらも力になっていきたいと思い、もう少し、付き合っていきます。
「第2の否認」初めて知った言葉でした。
酒に頼らなければ生きていけなかった本来の
心の病を放っておいて本当の回復はない。
まさにその通りで涙がでそうです。
飲まないことは今は苦しくありませんが
そうなった「何故」を考えると苦しいです。
その根っこ、野放しせず向き合って
いつか本当の回復に至りたいです
一年程前の例会の中で、「ただ酒を、やめているだけか。」もっと言えば「酒飲んでくるのがおるし。」これらは、例会の中でサブの発言です。
しかし何故、酒をやめ続けているだけが、飲んで来る事が、いけないのでしょうか。断酒の気持ちがあるからそ、恥を掻いても自分の為に例会出席しておられると、私は考えます。
一言で言えば、アルコール依存症は完治しないのだから仕方のない事。
断酒会は例会出席を大きな心で見守る以外、出来る事は無いと、ドライ.ドランクの私は思います。
今回は、ブログを読ませて頂く内に、以前に私の周りで
起こった事を思い出しました。
ブログに無関係のコメントですみません。
しかし、これは簡単には変われない。
変わらなけれは゛仮に断酒できても行き詰るとも思います。
先を考えると暗くなりますが自覚しつつできるだけ変る努力をしたいと思います。
先は遠いなーーー。
最近ブログを始めたヲーリーと申します。
庄助さんのこのブログは、ひと通り読ませて頂き、かなり共感しております。
特に「オレが、オレがの精神障害者の集まり」と言う言葉は、とても印象に残っています。
今回の「第2の否認」は私も感じておりまして、私自身、ACで生き辛さを感じています。
断酒会で止め続けられる人は、ただ単に大量飲酒で依存症になった人で、他の要因(ACなど)は無い人なのかなと...。
なので「回復者の背中を追えば止めれる」的な、昔の職人気質の断酒会は行きづらい場所です。
ですから私は断酒会員ではありません。
断酒会会員が増えないのも、その辺りにあるのではないかと思っています。
でも逆に、断酒会のやり方でないとダメと言う人もいますから、そういうやり方の自助グループがあったほうがいいのかもしれません。
自助グループは会員を増やすためにあるのではなく、お酒を止めるために存在するのが本筋では無いかと思いますから。
私もブログに否認のことをあれこれ書いたので、僭越ながらその記事にsyousukeさんのこの記事をトラックバックさせていただきました。
ブログ初心者につき、トラックバックをするときに「トラックバックをさせていただく」という用法が正しいのかどうかわかりません。表現が変でしたらお許しを。