
アルコール依存症の小原庄助です。
おかげさまで断酒継続させていただいております。
私の所属する地域断酒会には、朝例会、昼例会、定例会(夜)と週3回の例会があります。同じ断酒会が主催しても、参加メンバー(会員、断酒朋友、他)によって例会の雰囲気は違うものになります。
何処の例会でもそうであるように、常連の出席者数名のリードでその例会の『顔』が出来上がります。人それぞれに個性があるように例会にも個性があるのです。
私は上記週3回の例会のうち昼例会にしか出席しません。
元々は全てに出席していたのですが、時間的な問題や相性の関係でそのように落ち着いたのです。
この昼例会のスタイルは少し変わっていて、断酒会旗を掲げません。そして毎回テーマを設けます。立って発言するも座ったまま発言するのも自由です。私はこのスタイルがとても気に入っています。なぜなら断酒会という組織の硬直化した悪しき習慣に囚われず、純粋に『酒害からの回復』という目的のためだけに存在する例会だからです。おかげで私の酒は止まっています。
私の尊敬する、今は亡き先輩Y氏が確立してくれたスタイルです。
これからの例会のあるべき姿の先駆的スタイルであると確信しています。
しかし、このようなスタイルを気に入らない方達が存在するのも現実です。
せっかくこのスタイルで酒が止まっているのだから、放っておいてくれればいいものを、どうも断酒会はこうあるべきという化石化した古き慣習のみの理由から、一部の大御所からは発足当時から阻害され、目の敵にされているのです。
断酒会の会員数は長らく1万人越えといわれていましたが、2010年あたりから1万人を割り年々減少傾向にあります。2012年4月1日付け調査に至っては、
アルコール依存症者の数が減少しているのではありません。
ましてや完治しない病気です。
新規患者数を死者が上回らない限り、罹患者の数は増える一方のはず。
にもかかわらず、会員数が減少するにはそれなりの理由があるのです。
全断連結成から50年、順調に発展してきた断酒会活動が成熟期を越えて停滞傾向にあることは否めない。かがり火11月号より引用
これは単に断酒会をリードする世代の高齢化だけではなく組織自体が老化(高齢化ではない)してきたものではないかと思われる。組織を運営する背骨が硬直化し活力を失い脆弱になってきているのではないだろうか。
一部の人は分かってるみたいやけどね。
所詮、私自身を含めて、『俺が俺がの精神障害者』の集まりです。
さて、どのように対処したものか?
飲まずに素面で考えないとあきませんな。^^;


コメント
コメント一覧 (15)
あなたの意見に全く同感です。
私の所属する断酒会は、メンバーこそ少ないものの40代、50代が中心です。確かに、先輩方の言い分も解らなくはありませんが、体験談オンリーでその繰り返し、今若年層にも広がりつつある、アルコール依存症者に、はたして説得力が有るのでしょうか?
私の所では(私が中心です)、まず断酒を勧める前に自分が依存症である事を自覚して下さい、と言ってます。
それからでないと、断酒に踏み込もうとはしないと思うのです。
まずは、依存症を自覚してもらはないと、いくら断酒を唱えても馬の耳に念仏ではないでしょうか。
まず最初はほとんどの人が自分が依存症者で有る事を否認します。それを、説くのが先決だと思うんです。
確かに、体験談だけを聞いて自分とダブったりして、それでも酒を止めたと聞けば、断酒に向かう人もいるでしょう。しかし、その様な人はごく一部ではないでしょう。
私の所へは毎回の用に、アルコール病棟から病院のプログラムで見学者が訪れますが、二度来る人は、ほとんどいません。一度きりです。
その様な人達に、断酒を語ったところで、何の意味があるのでしょう。
やはり、ここら辺で例会自体の進め方を変えて行くべきなのでしょう。
極端ですがあと10年後には、今の全国組織は無くなるか、別の組織に変わっていると思いますよ。
長くなりまして、すみませんでした。
肝心の酒害については、「例会出席、一日断酒」のお題目の唱和だけです。
組織を守るためには形式、秩序もある程度必要ですが、セーターに断酒会の徽章をつけろのようなことはやってられません。
パソコンは敵、たぶん、かがり火や他の断酒会の会報も読んでないのでしょう。
体験談に引用しても全然反応がありません。
この人たちは、酒を止めている、例会に出ているという2点で、とても立派な事をしている気分のようです。
このような断酒会の老害によって、助かるべき人が助からないという現実があります。
ようやく断酒会にたどり着き、これからどうやって酒をやめていこうか、離脱症状の乗り切り方、家族関係の修復、人生の建て直しなど大きな悩み、課題を抱かえた30、40代の人たちに、なんら模範、アドバイスが出来ていません。
自分は、この現実でも例会は欠かさず出席していますが、かがり火に見られる良識や「断酒会指針と規範」などが僅かな希望です。
乱文、お許しください。
私は時々入院していたアル中病院のミーティングにも参加しますが、こちらは大盛況。病室の順番待ちの状態。このギャップはどうしたことでしょう。この不景気で生活保護に繋がるための手段としての中継地点として精神病棟が使われているのです。それに女性患者がかなり増えました。
病院にとっても生保者や手帳を持った患者は上客です。色々な名目を付けて、保険証を持って3割負担で来る患者よりもはるかに医療報酬は高いのです。病院の周りは患者御用達のアパート満室。
言い方は悪いけど、病院、患者、ケースワーカーがグルになって公共の金を貪っているんです。
入院中は半ば義務としてミーティングにも参加します。送り迎えのワゴン車付きで。
この人達は退院後は断酒会などには参加しません。
私は断酒会でなくAAに通っていますが同じ様な会場ばかりです。
私はまだ責任ある立場にはありません、と言うかどちらかと言うと避けています。
私は自分勝手な人間なので、ミーティング参加は自分の為。吐き出し場所。人を助けるより自分のことで精一杯。人のために何かをすることが自分も助ける。まだその気にはなれません。
過激なことを書いてしまったので間違いや非難は敢えて受けます。
庄助さんのブログ、2007年9月まで読み進めました。
私は茨木の断酒会に入会してまだ1ヶ月しかたっていませんが、断酒会は確かにご指摘のような問題を抱えているようですね。
それに、なにか断酒会命というような体験談にはやや違和感を感じます。
でも、断酒会に出席している人は、まさに断酒会に出席することによってこそ救われているわけだから、自助組織につながらないで断酒できている人や普通の飲酒者からすれば、それってちょっと変じゃないのといわれても、彼らにとってはまさに断酒会命なんですよね。
私も、何回も断酒や節酒を試みては失敗し、今があるので、自ら断酒会命という発言をするつもりはありませんが、これからなんとか断酒会につながって断酒を継続していきたいと思っています。
庄助さんの参加されているような昼食会のスタイルの断酒会が増えるといいですね。
私もそんな断酒会に出席してみたいです。
ブログ掲載の「かがり火」、私も断酒会に出席していただいて読みました。なんとも表現が古色蒼然としていて、これじゃ、若い人は読まないだろうなと感じます(体験談は別ですが)。
どうやら、ここにも断酒会の老化が垣い間みえますねぇ。
けど、こんな感想は、決して断酒会で発言するつもりはありません。
今は新参者として、ただひたすら皆さんの体験談をお聞きして、自らを奮い立たせたいと考えています。
私はミーティングに行きながらも飲酒している愚か者です。
どうしても止められません。
syousukeさんのブログを徐々に読ませていただいています。
止めたいです。
飲酒。
syousukeさんのブログで、断酒の決意、固めたい。
そんな気持ちでこれからも過去ログ、続けて読ませていただきます。
感謝しています。
41歳・女です。
飲酒がやめられません。
子供も夫もいますが、夫がいないと、隠れて、いくらでも飲んでしまいます。
外での飲み会もつぶれるまで飲んでしまいます。
そのあとで必ず死にたい気持ちになります。
なおしていきたいと思います。
お医者さんにもかかりましたが、全然変わりませんでした。
小原さんの、ブログを読ませて頂き、私も同じく、それなりの理由で、意見を持っております。
しかし、人間自身は、全断連、地域の役付きの方には、立派な人も多くいる様に思います。
時代感性の違いと言うのが、私の今の段階では結論ですが、こんな事を言っても前には進みません。私自身は、例会への参加は、人が集まる場所として、人間形成の場所だと、思います。
心をテーマとして、何か良い方法は無いかと、考えております。
ご意見御座いましたら、よろしくお願いいたします。
私は断酒会やAAに行っていません。
アル中で入院した直後は
何度かAAに行っていたのですが
断酒する事が出来ず行かなくなって
しまいました。
その後通院もしなくなり
4年以上、山型飲酒状態…
今はやっと自分で断酒してますが
いつどうなるかわかりません。
断酒会もAAも人が集まる場所は
色々あって大変そうですね。
でもそれによって断酒できるなら
私も少し考えた方がいいかな?
と思いました。
私は2年前に宮城のT病院という所へ入院し
認知行動療法を受けていた者です。
syosukeさんのブログは去年位から拝見させて
いただき恥ずかしながら読み逃げをしておりました(汗)
syosukeさんは考えがしっかりしていて私の半端な
考えを伝えるのは失礼と思っていたからです。
この度、勇気を持ってコメントさせていただきます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。