飲まな、やってられんのう〜

これ、私の決まり文句でした。

 明るいうちから飲まんといて〜
 酔ってるとこ見るの嫌〜

分かれたかみさんから常にこう言われ続けていたが、

 わかっとるわ〜
 俺も飲む量、おさえとんや〜
 おまえには分からんやろけど、飲まんとやってられん理由があるんじゃ!
 おのれが能書きぬかすから飲んでまうねやんけ〜

こういいながら飲んできた。
今考えると無茶苦茶な理由やけど、当時は立派な理由やったんです...

私は、多くの大切なものを失って初めて目が醒め酒を止める決心が付き現在に至っているが、世の中にはさほどたくさんのものを失わなくても酒が止まっている賢い方も居る。
「底」と感じる体験は人それぞれなんである。

ここまで全てを失い切ってまだ底つきせんかと思われる人が、失禁を体験して初めて底つきしたというケースもある。本当に人によって底は違うのだ。

しかし少しばかり酒が止まりだすと、否認の感情が芽生え始める。

 もしかして治ったか?
 少しくらいならコントロール飲酒できるのでは?

これは肉体の回復と共に心は底から離れはじめているのである。そして再飲酒して壊れてもう一度底を見る事になるが、このときの底は前より深くえぐれているのだ!
たぶんこれが、アルコール依存症を進行性の病と言わせる意味合いだと思っている。

人は嫌な体験を忘れる事で心の傷を癒すようにできているように思う。忘れる事ができなくとも、嫌な記憶は薄らいでゆくものだ。本来そうあるべきと思うが、こと酒害に関してだけは忘れてはいけない体験なのだ。

意識しなければ忘れてしまう。
忘れると否認が芽生える。

忘れてしまいたい嫌な思いを掘り起こしてでも記憶に深く刻み込まなければ「底」は遠く離れてしまう。

何故、例会で酒害を語り続ける必要があるのか?

それは、おのれの「底を上げる」作業が必要なのだと最近感じている。

飲まなやってられんと思ってたけど、飲まんでもクリスマスは過ごせそう^^;
フランス・デ・ルミエール
断酒: 959日
禁煙:1798日
前回の飲酒未遂から:30日

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