今から35年前、俺は高校一年生。
将来有望やったはずやけど、すでに家を飛び出して新聞屋に転がり込んで住み込みで働きながら学校に通っていた。このブログの書き始めの頃にも少しふれた通りである。

考えてみたら最初は普通の高校生。
2学期始まる頃からは、ペッタンコのかばんに半分に削ったレンガだけ入れて教科書も持たずに通っていた。教科書は全部ロッカーの中。に、あるはずやけど消失してる教科書もある。かといえば、同じものが2冊ある教科もある。俺のものは俺のもの。人のものも俺のもの。借りっ放しで返さずともだれも文句を言わない。

入学した当時は本当に将来有望やった。俺はトップの学力で受かっているはずと疑いもなかった。しかし生活指導の先生に教師としてのやりがいを与えて、結果的に可愛がってもらっていた俺は入学当初トップではなく2番だったことを後日知る。

何でやねん、そんなあほなことあるはずないやんけ!
こんなアホ学校、俺より優秀なやつ居るわけあれへんやろ!

そのときの心情である。
しかし現状はあほな男を追いかけて、レベルを落として入ってきた女の子が居ったらしい。
こんなアホ学校、俺様のレベルで来る物好きが他にも居ったとは驚きだった。

(同窓生の皆様、今は俺が一番アホです。暴言をお許し下さい。)

まぁ手前味噌になってしまったが、女の子にケツまくられて1番とれんかったが有望株やったんは間違いない。けど・・・


半分学生で半分社会人の俺は毎晩飲み歩くことを覚えてしまった。というか、悪い大人に教え込まれたというところか? もっともその資質に溢れていたから必然的に酒と女とアンパンと暴力に染まってしまったのだと思う。

毎日二日酔いで通学する。
1時限目から爆睡モード。
教科書はよだれでべこべこ、厚みは三倍くらいになってしまっている。
2時限目、3時限目と休憩無しで連続で爆睡していてもだれも起こさない。教師ですら起こさない。確かに鬼のような剃り込みをいれ、いつでもかかってこんかい的なリーゼントではおとなしく寝かせておいた方が校内の治安は良かったかも知れない。

当然のごとくテストは0点の連続記録。
学校は行っても寝てるか、エスケープして近くの雀荘でしのぎ削ってるかのどちらか。よう卒業させてくれたもんやと思う。
俺より欠点の単位が少ないやつらが落第し転校していく中、要領の良い俺は力のある先生にえこひいきされ落第もなく3年で卒業。べったの学力で卒業したのは間違いない。ええ時代やった!

ほんまにええ時代やった。おかげさまで高校卒の学歴は残った。しかしよう退学にならんかったもんやと思う。毎日べろべろやったもんなぁ。毎晩、ゴーゴー喫茶や、ゴーゴークラブ、ダンスホールや、サパークラブ、ミラーボールがキラキラしたキャバレー、8トラもないカラオケ無しの手拍子だけのスナック。よう飲んだわ!

けどその頃はまだ依存症ではなかった。
夕刊を配達した後に、立ち飲み屋でストレチナヤヴォッカを熱燗の2級酒で割って飲り、朝刊を配り終わってから迎え酒を飲って学校へ行く。しかし手の震えもなかったし、不眠症でもなかった。ただの酒飲みの高校生だっただけである。

脳内のねじが緩んで、部品が外れだしたのはこの頃からかも知れない。
こうして振り返ってみるとそれなりの量を飲ってる。
やっぱり間違いなく俺はアルコール依存症やわ!

まだ一生分飲んだとは思い切れんけど、アル中であることは間違いない。
観念して素面で生きていこう。

まだ未練は残ってるのも本音やけど、自分に正直になったら・・・

やっぱり未練はある!

しかし、アル中は否認の病。
自覚することも自分に正直になることかな?

たぶん!



今日も読んで下さってありがとうございます。
ついでにクリックしていただけますと嬉しいです。
   ↓↓
にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ