去年、連続飲酒で弱っているところ結核になり専門病院の隔離病棟に入院するが、色々理由をつけたが実際は酒を飲みたい一心で(おそらく)隔離病棟を脱獄し、保健所を何とか丸め込んで通院治療に切り替え、自宅に独りでこもりっきりになった状態が2007年の幕開け。

追い討ちのように、世間では「家内安全」とか「商売繁盛」とかいって盛り上がっている「えべっさん」の日に、結核で弱っている俺にとどめを刺すべく離婚届け提出。

ま、今思えば自分のまいた種。元かみさんも悩みぬいた結論なのだ。辛い思いをさせてしまったと思う。

当時は、週一の内科への通院とスーパーへの買出し以外にはほとんど外出しないで自宅にこもりっきりだった。このブログを書き始めた2月の下旬もまだ結核との闘病中。

しかし、独り暮らしのアル中の飲酒に歯止めを付ける者は誰も居らず、当然内科医は飲酒を控えるようには言うが、週に一度こちらから出向くだけ。

結核治療中なので月一に血液検査はするが問題あるのは肝機能と中性脂肪。数値上は明らかに問題飲酒を示していた。本当に「結核」と言う病気を舐め切っていた。今になって思えば酒で気が狂っていたのだ。全てのことに対して飲酒を第一に優先している。結核治療が無事に終わったのも運が良かっただけなのかも知れない。

ひとり孤独に結核と闘病し、そのストレスをアルコールでぶちまける。このブログのサブタイトルに、

「別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。」

と書いている。
これは当時の心境がそのまま現れているのだ。


多少の理性が、他人への結核感染を避けるために自分自身を引き篭もりにさせ、孤独と焦燥を忘れるために酒に逃げ、うつ状態に陥った状態で無気力になり、飲酒で狂った頭をさらに狂わせる。自殺願望は無かったが、命の絶ち方は決めていた。

おそらくこの頃アル中としての「底つき」を、もしくはそれに近いものを感じていたのかもしれない。いくら拗ねたところで、いくら暴れたところで、誰もかまってくれない状況なのである。死のうが、生きようが、懲役に行こうが、誰も困らない、全て自分の判断。

こんな状況でまっとうに生きることを選んだんだと思う。狂った頭で!


自分なりにアルコールとの付き合い方を何とかせんとあかんと思いはじめたが、

「分かっちゃいるけど止められない!」

「止められない!止まらない!」


自己流に節酒や断酒を試してみるが、離脱症状の苦しさに負けてしまいすぐに連続飲酒に落ちてしまう。わらをも掴む思いで専門医に自分から繋がった。専門医なら簡単に医学の力で酒を止めさせてくれると思っていた。しかし世の中はそれほど甘くは無かった!

離脱症状の苦しさを少しは軽減させてくれたが、湧き上がる飲酒欲求を抑えて断酒するのは自分の意思によるものだけで、専門医は背中を押してくれるだけ。しかし、止めたいと感じたときに背中を押されるのは強力に効く!

断酒しはじめて1週間ほどは離脱症状に苦しみ、その後も酒無しで過ごす一日の長かったこと。何度も眠剤をOD(処方以上に服用すること)してでも断酒を優先したが、心の中では断酒30日達成したら祝い酒を飲ると決めていた。

しかし、これはハイヤーパワー(目に見えぬ人知を超えた力)か?
3週間先に予定していた「痔」の手術がキャンセルが出たおかげで前倒し、飲酒予定の断酒30日目には術後の痛みに唸っていた。もっとも、痛み止めの準麻薬で頭もボケていたが、飲酒欲求からは免れることが出来たのだ。

3ヶ月目、6ヶ月目ころにはひどく鬱状態に落ち込み、投げやりな気分からスリップしかけるが、仲間に助けられ現在に至っている。

不定期に訪れるドライドランクには今現在も頭が痛い。
今日もあったが、些細なことでカチンと頭にくると、ドライドランクのスイッチが入る。
自分の吐く息までもが酒臭く感じるのだ。一滴も飲んでいないのに!


2007年は本当にいろんなことがあった。

そして、これ以上に落ちることはなさそうだ!

来年は今年よりはよい年になると思う。

そう思えば、今日も酒は止まりそうだ。


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