絵画や写真には構図と言う重要な要素がある。
専門家ではないので詳しくは分からないが、同じ物を撮って(描いて)も構図が変わると作品に違いが出てくる。良し悪しも分からないが、作者の意図の伝わり方が変わってくる。
近年はメモ代わりに携帯のおまけカメラで写真を撮ることはあっても、真剣にカメラのファインダーをのぞくことがなくなった。昔は趣味で一眼レフを持ち歩いたものだが・・・
ネガの整理をしていてふと思ったのだが、素人目に良いなと思う写真は必ず飲んでるときのものだ。最低と思われるのは泥酔しているときのものだ。で、ふつーって感じのものは数少ない素面のときのものが多い。
泥酔しているときは多分何も考えずにシャッターを切っているので、最悪なものしかないのは当たり前としても、素面で撮ってるものが普通で、良いかも?と感じるものは飲んでるときというのも逆のように感じるが、しかし現実に飲ってるときのものの方が新鮮な感じを受ける。
おそらく俺の感性ってふつーなんやろう。才能と言うものが皆無なんやと思う。
けど、一杯入ると別人の脳になる。
で、視野というか視点というか、なにか着目するところが飲むと変わってくるのだろう。
野に咲く花を美しいと思えるようになってきたらアル中から回復してきた証だと言う人がいる。本当にそうかなぁ? 俺、酔っ払ってるときサボテンの花を見て感涙してた記憶があるが・・・
酔っ払って家に帰る途中、無残にも鉢から抜かれて捨てられている枯れたパキラを可愛そうに思い、酔った勢いで持ち帰って植え替えたことがある。毎日、話しかけながら水遣りをしていたら元気に茂りだした。
酔う事って決して悪いことではないよなぁ。
酒に飲まれなければ良いよなぁ。
けど、依存症と診断された今は素面で生きる道しか残されていない。
早くからアルコール依存症というものを理解していれば一生アルコールと上手く付き合えたかと思うと残念でならない。
もしまだ依存症になっていなくて、可能性のある酒好きの方がこの日記を読まれていたなら、問題飲酒は避けて依存症にならないよう心がけてください。でないと俺のように一生飲めなくなりますよ!
まだまだ、酒の囚われから抜け出せない俺ですが、断酒225日
今日も読んで下さってありがとうございます。
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専門家ではないので詳しくは分からないが、同じ物を撮って(描いて)も構図が変わると作品に違いが出てくる。良し悪しも分からないが、作者の意図の伝わり方が変わってくる。
近年はメモ代わりに携帯のおまけカメラで写真を撮ることはあっても、真剣にカメラのファインダーをのぞくことがなくなった。昔は趣味で一眼レフを持ち歩いたものだが・・・
ネガの整理をしていてふと思ったのだが、素人目に良いなと思う写真は必ず飲んでるときのものだ。最低と思われるのは泥酔しているときのものだ。で、ふつーって感じのものは数少ない素面のときのものが多い。
泥酔しているときは多分何も考えずにシャッターを切っているので、最悪なものしかないのは当たり前としても、素面で撮ってるものが普通で、良いかも?と感じるものは飲んでるときというのも逆のように感じるが、しかし現実に飲ってるときのものの方が新鮮な感じを受ける。
おそらく俺の感性ってふつーなんやろう。才能と言うものが皆無なんやと思う。
けど、一杯入ると別人の脳になる。
で、視野というか視点というか、なにか着目するところが飲むと変わってくるのだろう。
野に咲く花を美しいと思えるようになってきたらアル中から回復してきた証だと言う人がいる。本当にそうかなぁ? 俺、酔っ払ってるときサボテンの花を見て感涙してた記憶があるが・・・
酔っ払って家に帰る途中、無残にも鉢から抜かれて捨てられている枯れたパキラを可愛そうに思い、酔った勢いで持ち帰って植え替えたことがある。毎日、話しかけながら水遣りをしていたら元気に茂りだした。
酔う事って決して悪いことではないよなぁ。
酒に飲まれなければ良いよなぁ。
けど、依存症と診断された今は素面で生きる道しか残されていない。
早くからアルコール依存症というものを理解していれば一生アルコールと上手く付き合えたかと思うと残念でならない。
もしまだ依存症になっていなくて、可能性のある酒好きの方がこの日記を読まれていたなら、問題飲酒は避けて依存症にならないよう心がけてください。でないと俺のように一生飲めなくなりますよ!
まだまだ、酒の囚われから抜け出せない俺ですが、断酒225日
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コメント
コメント一覧 (4)
成ってるかも。
頭で理解出来ても、体はどうなんやろ?
ただの、大酒飲みで済む人もいるし、
少しの酒で、依存症になる人も。
ヤッパリ、精神の病気は、机の上の理論では、
解決出来ないと思います。
理屈で病気」に成らないなら、薬も作れるのでは?
成った事を後悔するより、前向きに、取り組んで行こう。
明日も、ミーティングへレッツGO-!
理屈で病気にならないというのではなくて、病気のことを知っていれば、予防できるはずです。
もう、依存症の診断のついてしまった我々は前向きに取り組むことしかないのはよく分かっていますよ。
ただ、これ以上依存症者を増やしたくない。依存症者に苦しむ家庭を作りたくない。だから、依存症をよく理解して、コントロールドリンカーでいて欲しい。という思いを書いたのですよ。
アルコール依存症というものを世間の酒飲みがよく理解していれば、依存症になる人は減るはずです。自分の場合は後悔になってしまうけど、まだ防げる酒飲みは沢山いるはず。我々アルコール依存症者は断酒することだけではなく、広く、依存症のことを啓蒙していく必要があるのではないでしょうか?
お酒をやめてから心の中の大事な部分もちょっと欠けてしまったように思う事はあります。
よく言えば、感情に大きな波が立たなくなったということなので、それが普通(?)なのかな。
どうなんでしょうね〜。
「歪んだ感受性」
なるほど、そういう解釈は思いつきませんでした。
それと大事な部分が欠けてしまった感触は私もあります。きっと本能的でなくなってきているからだと思います。素面に戻ることで理性が行動を律していると言うことなのでしょうね。本来はこれが普通なのでしょう。でも、もう少し人間臭くどろどろしていたい気もしますが、こんな風に考えること自体、まだ歪んでるのかなぁ?