かみさんと別居して6年。
正式に離婚して間もなく1年。
20年近く一緒に暮らしてきたのに離婚すれば元の他人。

今思えば、酒に酔ってかみさんに暴言を吐いたことも多々あった。
暴力こそ振るったことは無いが、暴言も言葉の暴力か。

当時はかみさんの態度に激怒して、それを理由に飲んでいたことも多かった。
酒を止めてから当時を振り返るとそう思えるようになってきた。

きっと、かみさんは酔った俺を見るのが嫌だったのだろう。

アル中は、喜怒哀楽が激しい。
すぐに怒り出すし、涙もろい。
異常に喜んだり、大げさに楽しんだりする。

声も大きくなるし、身振りも大きくなる。

それから、
飲むためにはどんなことでも利用して、理由付けして飲む。

怒りを感じると自棄酒を飲る。
寂しさを紛らわせるためにも飲る。
楽しいときは有頂天になって飲る。
嬉しいときも祝い酒を飲る。

飲るための理由はいくらでもある。

しかし、本当に酒を飲むために無理やり理由を作っているのか?
依存症になってからはそうかも知れないが、本来飲まなければやりきれない理由もあったはず。それを繰り返すうちに依存症になってしまったのではないのか?

分かれたかみさんとはずいぶん長い期間、夫婦関係は冷え切っていた。
しかし、何事が起きても命がけで彼女を守る気構えはあった。
雄と雌のつがいの愛情ではない。


では何か? 「人間愛」?

おそらくは理性という感情が生み出す愛情ではないか?
命がけで守ってやろうと思ってる相手に、酒に酔っては暴言を浴びせてしまう。
アルコールで理性が麻痺し本能むき出しになっているからではないか?

男が他の女に走るとき、悪いのは男だけなのか?
他の女に走らせる理由は男自身以外にはないのか?


酒に酔うということは、理性という仮面を脱ぎ捨てて、本能の赴くままの正体を露見するということではないのだろうか?


アルコール依存症者とは自分勝手なものである。
社会生活にも馴染めないアウトローである。

けっして、酒が悪いわけではない。
アルコール依存症者自身の問題である。

しかし、ヒトとはどんな環境にも負けずに気丈に生きることが出来るのだろうか?
アルコールに依存してしまう理由は、自分自身の弱さと、少しだけ他の理由もあると考えてしまうのはアル中の言い訳に過ぎないのか?

今までまわりの人たちに与えてきた苦しみを考えれば、簡単に許されることではないことくらいは理解できる。

しかし、少しくらいは甘えた弁解をさせてもらうことも許して欲しい。


やはり、駄目かな?




甘えついでにクリックしていただけますと断酒の励みになります。
   ↓↓
にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ