松村語録について
先日、松村断酒語録の内容で少し引っかかる部分があったので、(ご指摘もいただいておりましたので)調べてみました。下記の通りです。
#20 断酒会員には普通の人より何か優れたところがある
優れた素質を持つ人がアルコール症になる傾向があるなどと誤解しないで下さい。「アル中を克服する人は世間一般の人より何か優れたところがある」と、松村氏は言っていました。
アル中からの立ち直りが、何故困難であるかということについて、ちょっと述べたいと思います。体の病気の場合治るとは、要するに元の通りになればよい訳です。しかし、アル中の場合は文字通りもとの通りでは元の木阿弥になります。従って、以前よりも一歩進歩した状態にならねばならない訳です。考えてみますと何でもない人にとってさえ精神的に一歩前進することは困難なことです。その普通の人にとって困難なことを、精神的、身体的に弱った状態から達成しなければならないのですから、至難の技になる訳です。しかし、精神的に一歩前進する以外にアル中から立ち直る道は全くないのです。これがアル中から立ち直るのは難しいが、立ち直れた人は普通以上に味のある立派な人になっている理由です。ヴェートーベンの言葉に「苦悩を通して喜びを」と言う言葉がありますが、アル中からの立ち直りは文字通りこの言葉の実践以外にありません。(国立久里浜病院長・河野裕明)
私たちは断酒会に入会して、心と体の二つの病気を克服しつつあります。病気は一つを克服するのにも相当な努力を要するのですが、二つも一緒に克服するというのは大変なことです。しかも、河野氏の言うように「精神的に一歩前進する以外に道がない」のです。だから私たちは断酒が継続される中で、一般の人たちよりずっと真剣に人生に取り組まねばならないのです。そして、そうした努力が出来ている人は、何か優れたところがあるといっても差し支えないと思います。
しかし、優れたところがあるとほめられても、決して、思い上がらないで下さい。
二つの病気を病むようになった原因は自分自身にあり、この二つの病気を克服するのは、私達にとっては義務と言ってもよいからです。断酒は私達にとっては当然やらねばならないことです。
(「断酒会・語録に学ぶ」より抜粋)
なんとなく手前味噌的な解釈のような気がしますが、こう言った意味合いのことらしいです。あくまでも断酒を続けている人に対するご褒美がてらのお言葉と解釈し、驕った気持ちで受け取ってはいけない言葉だと感じました。
それと、
断酒会員には普通の人より何か優れたところがある
これは、
アル中を克服した人には普通の人より何か優れたところがある場合もある
と、読み替えるべきだ!
しかし、何年断酒していてもたった一口の酒で元に戻ってしまう決して治らないアルコール依存症。どの時点で「克服」したといえるのか?
また新たな疑問がわいてきてしまった・・・
今日も読んで下さってありがとうございます。
ついでにクリックしていただけますと嬉しいです。2008-05-29追記
↓↓
先日、松村断酒語録の内容で少し引っかかる部分があったので、(ご指摘もいただいておりましたので)調べてみました。下記の通りです。
#20 断酒会員には普通の人より何か優れたところがある
優れた素質を持つ人がアルコール症になる傾向があるなどと誤解しないで下さい。「アル中を克服する人は世間一般の人より何か優れたところがある」と、松村氏は言っていました。
アル中からの立ち直りが、何故困難であるかということについて、ちょっと述べたいと思います。体の病気の場合治るとは、要するに元の通りになればよい訳です。しかし、アル中の場合は文字通りもとの通りでは元の木阿弥になります。従って、以前よりも一歩進歩した状態にならねばならない訳です。考えてみますと何でもない人にとってさえ精神的に一歩前進することは困難なことです。その普通の人にとって困難なことを、精神的、身体的に弱った状態から達成しなければならないのですから、至難の技になる訳です。しかし、精神的に一歩前進する以外にアル中から立ち直る道は全くないのです。これがアル中から立ち直るのは難しいが、立ち直れた人は普通以上に味のある立派な人になっている理由です。ヴェートーベンの言葉に「苦悩を通して喜びを」と言う言葉がありますが、アル中からの立ち直りは文字通りこの言葉の実践以外にありません。(国立久里浜病院長・河野裕明)
私たちは断酒会に入会して、心と体の二つの病気を克服しつつあります。病気は一つを克服するのにも相当な努力を要するのですが、二つも一緒に克服するというのは大変なことです。しかも、河野氏の言うように「精神的に一歩前進する以外に道がない」のです。だから私たちは断酒が継続される中で、一般の人たちよりずっと真剣に人生に取り組まねばならないのです。そして、そうした努力が出来ている人は、何か優れたところがあるといっても差し支えないと思います。
しかし、優れたところがあるとほめられても、決して、思い上がらないで下さい。
二つの病気を病むようになった原因は自分自身にあり、この二つの病気を克服するのは、私達にとっては義務と言ってもよいからです。断酒は私達にとっては当然やらねばならないことです。
(「断酒会・語録に学ぶ」より抜粋)
なんとなく手前味噌的な解釈のような気がしますが、こう言った意味合いのことらしいです。あくまでも断酒を続けている人に対するご褒美がてらのお言葉と解釈し、驕った気持ちで受け取ってはいけない言葉だと感じました。
それと、
断酒会員には普通の人より何か優れたところがある
これは、
アル中を克服した人には普通の人より何か優れたところがある場合もある
と、読み替えるべきだ!
しかし、何年断酒していてもたった一口の酒で元に戻ってしまう決して治らないアルコール依存症。どの時点で「克服」したといえるのか?
また新たな疑問がわいてきてしまった・・・
今日も読んで下さってありがとうございます。
ついでにクリックしていただけますと嬉しいです。2008-05-29追記
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コメント
コメント一覧 (6)
=私の回復(以前より良くなっている、楽しいこと)=
何処までが回復なのか判らないのが、アル中の厄介な所
飲めるまでの回復はないのだから。
先だって、アル中じゃない人と話をしていて、後2・3日で
<死ぬ>と言われたら<飲む?>と聞かれました。
私はアル中に逆戻りして死ぬのはイヤだ!
断酒を継続したまま死にたい!
今日もそう発言してきました。
私は飲まずに死んだ時が回復だと思ってやって行くつもり
突っかかるような事を書いてしまって少し後悔してました。
この言葉はアルコール依存症者にとってのアメみたいなものなのでしょうか。
色々な解釈があるのでしょうね。
死ぬまでこの病名を背負って生きていくのだからのんびり考えるのもいいのかもしれませんね〜。
あと2,3日の命やったら私も絶対飲みません!
でも、2〜3年やったら少し悩むかも?
20〜30年やったら絶対飲む!
飲まずに死ぬなんてええ事、おっしゃいます!
しかし私は往生際が悪いので、きっと医学が進歩してコントロールドリンカーに戻れると信じて飲まずに待ちたい。
で、その暁には、飲む!
いえそんな、突っかかるなんて、そんなこと考えてもおりませんよ!
自分自身引っかかっていたんです。でもおかげさまで勉強になりました。断酒会が驕っていたわけではなさそうです。
でも、言葉は良くないですね。感心しません。
個人を相対評価したがり過ぎるんでは?…と
俺は いつも 疑問に思います。
優秀とか無能とかで人間の価値はちがわない。
…というのが 近代の福祉理念の根幹だろうと思います。
依存症やうつや犯罪などは…
なんとなく「人間らしさ」の
表裏一体的な性状の裏面のような感じがします。
近代社会環境が生み出している
時代病ではないのだろうかと…?
時代病って、確かにそう思えます。ヒトが自然界と無理なく共存していた頃には無かった病なんでしょうね。
断酒会員が優れてるとか優れてないとかも、所詮アル中を躍らせる程度の意味しかないのでしょう。難しく考えすぎなのかもしれませんね。