生活指導の教師に好かれていた俺は先生のおかげで無事に高校を卒業したが、何の進路も決まっていなかったのでとりあえず職業訓練校に入ることになった。電子計算機科だ。昭和49年当時ではITという言葉もないくらいの「はしり」である。

独り暮らしの俺は学校の寮に入る。職業訓練校というのは俺のように新卒ではいるのは珍しく、たいていは社会生活の出戻り組みなので年齢は色々だ。当時は失業保険受給中に入学すると卒業までは保険が受給できたのでそのシステムを利用して遊んでる輩が大半だったように思う。寮生も新規中卒の16歳から、上は50歳くらいだった。

当時30歳くらいだったと記憶するが、全国の紡績関係の職場を転々としているやくざものもいた。本人は隠していたが、夏場でも半そでは絶対に着ず泳ぎにも行かなかったので分かる人にはわかると思う。

この人とは歳の差はあれど妙に馬が合い夜毎飲み歩いたのである。今思い出すとこの人はきっとすでに肝臓を悪くしていたと思う。18歳の俺よりも酒が弱くすぐに吐いていた。

ま、しかし夜毎飲み歩くうちにそういった仲間も出来、グループで徘徊していた。
もちろん学生の身分なので安酒しか飲れなかったが、近くに某マンモス大学があったので安酒には不自由しなかった。

無人の自動販売機だけのショップあって、そこには普及し始めの電子レンジがあり、カップの酒を自販機で買ってチンをする。
そういえば「うどん」の販売機もあったなぁ。いまどこにでもあるカップ麺ではなく生麺の「うどん」のやつ。懐かしい!
商品の取り出し口から腕を入れていくとプラスチックのどんぶりに生のうどんとてんぷらが入ったものが簡単にパクれる。スープはないけど貧乏な俺はこれによくあやかった覚えがある。
(ちなみに時効やけど良い子は真似しないように!)

で、隣には雀荘があるのだ。カップ酒でええ塩梅になり、マージャンしながら餃子でポン酒をあおる。場の酒と飯を賭けてのせこい勝負!

そういえばこんなことがあった。
いつものように数人で某マンモス大学の学生街を徘徊し酩酊しながら寮への帰り道
(寮は訓練校の敷地内のグランドの隅にあった)

「河内の連れションじゃー」

と騒ぎながら横一列に並んで小便をしてると、一人の先輩がいきなり仰向けに倒れた。小便は終わってないので噴水状態。当然ながら着衣も靴も己の小便でビチャビチャ。
皆で彼をグランドを引きずって寮まで戻ったことがあったが、翌日の彼にはその記憶はない。やくざな先輩も覚えていない。

皆、酒が弱い。弱すぎる。一升飲んでもしっかりしてるのは手前味噌ながら俺一人。こんなこと何の自慢にもならないが当時の俺には自慢の一つであった。

この時期もアル中になるための条件は揃っていた。



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