アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

こんにちは〜

アルコール依存症の小原庄助です。

おかげさまで飲まずに過ごさせていただいております。


アルコール依存症の概観
ところで、
この人、よく見かけますよね。
いつも思うんですが、
この人、重篤なアル中やないかと…

『通い』を持って、徳利の酒を買いに行く、
『酒買い小僧』とばかり思っていたけど、
どうも昼真っから盗み飲みしてはる!

いつも赤い顔してはるから間違いない。

こそこそ隠れて飲んでるあいだはまだ可愛いけど、堂々と昼真っから飲りだすとは…

きっとそれでも隠し通せると思ってはるところが重症ですな。

腹の出具合からすると中性脂肪もずいぶん高そうやし、もしかすると腹水も溜まってるかもしれない。おまけによく見ると白目に黄疸が出てるし、肌も艶がのうてどす黒い。男のくせに乳房が出て女性化してるし、これはもう酒の飲みすぎでだいぶん肝臓を悪うしてはる。

肝硬変はじまってたら血圧もそうとう高いはずやし、このまま動脈硬化が進んだら、いつプッツン行ってもおかしない。そうそう、食道静脈瘤の破裂が先かも、お若いのに…





追記<2012/03/22>

貼り付けようと思いながら忘れていました。^^;
ボレロさんから教えていただいた youtube の動画です。
たった3分のパラパラ漫画ですがとても感動的な作品です。
見る人によって感じる部分は違うと思いますが、僕は最初の学生時期あたりにやられてしまいました。それと、振り子を戻そうとするところ… (T_T)



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こんばんは。

アル中のsyousukeです。

おかげさまで断酒継続中です。



あのとてつもない大災害(東日本大震災)から早一年。
ここ数日のテレビは、災害を振り返る報道とそれをテーマにした番組が続いています。
改めて被害の大きさと、その傷跡の深さに言葉を失ってしまいました。
今一度、亡くなられた方たちのご冥福をお祈り申し上げます。


津波で流されビルの屋上に打ち上げられたバスの映像がありました。
この災害の記憶を風化させないためにも撤去せずそのままにしておくべきという専門家の意見もあったようですが、間近でその光景を見るたびに当時の恐怖が蘇る方たちのことを考慮して撤去することになったそうですが、まさしくその通りだと思います。

しかし、この大災害を忘れ去ってはいけない。
地震や津波は天災であって避けれるものではありませんが、次に遭遇したときに少しでも被害を少なくするためには辛い記憶も風化させてはいけない。

忘れなければ生きてはいけない。
しかし忘れ去ってはいけない。

矛盾する相反することのように感じますがどちらも正解なんですね。


最近はおかげさまで、強迫的な飲酒欲求に見舞われることはありません。
しかし、軽〜く飲みたい気分がたびたび現れます。
あくまで軽〜くなのでやり過ごすことは苦痛ではありませんが、軽〜い気持ちで一杯飲ってしまいそうな、断酒に対するモチベーションが下がってきている自分の軽率さが怖い…


自分では分かっているんです。

酒を止めたいのに止めれない苦しさ
酒を止めはじめた頃の離脱症状の苦しさ
酒を止め続けても現れる正体の分からない不安
そして、大切な身近な人たちに与えてきた理不尽な暴力

こういった忘れてはいけない記憶が風化してきているのです。


先週の例会で貴重な体験談を聞かせていただきました。
その方は、5〜6年断酒して断酒会を離れたそうです。
するとまもなく、出席した結婚式披露宴の席で乾杯のときにウーロン茶ではなくビールを手にしたそうです。
そのときはちょい飲みで済んだそうですが徐々に酒量が増え、元に戻って再入院するまでには大した時間はかからなかったそうです。

よく聞く話ですが、自分にとってはあまりにもタイムリーなので心に響きました。

そうです。
はずかしながら、もう俺は大丈夫という気持ちが芽生え始めていました。
ひと様には偉そうに話しているくせに、自分は密かに心の中で飲む準備をはじめていたのです。

アルコール依存症、気を抜くと簡単に否認が芽生えます。


今一度初心に戻って、例会出席 一日断酒

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アル中のsyousukeです。こんばんは〜


いやぁ、けっこうアル中でもコントロールしながら飲めるもんですね。(汗)

ここしばらくは、ほんと上手に飲めている。
アルコール依存症が、進行性で死に至る不治の病なんて嘘ばっかしや〜
でも、このままやったらやっぱりあかんのかなぁ…
きっと連続飲酒をぶり返してしまうんやろか?
いや現にいまこうして上手く飲めてるって事は、やっぱ治る人間も居てるということやろう。

俺のアルコール依存症は完治したんや!

しかしそうなるとこのブログはどうすればええんやろ?
このまま飲んでないことにして嘘で塗り固めていくか…

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

今朝、寝床でこんなことをずっと考えていました。

あれ? 俺ほんとに飲んでるんか?
これは夢とちゃうんか?

いや、そんなことはない、これは現実や!

いつからこないなってしもうたんやろ〜
俺って最低やなぁ…

ま、うだうだ考えててもしゃあないから起きて仕事や!



目が覚めてるのに暫くの間、夢なのか現実なのか判断できなかったのです。
自分では夢であって欲しい、でもこれは紛れもない現実なんや!

そう思い込んで、落ち込んで、しばらく経ってようやくこれが夢やったということに気付きました。

過去にドライドランクの酷かった頃、夢の中で一口飲んだだけで実際には一滴のアルコールも口にしていないのに昼過ぎまで酔っ払っていたことがありました。しかし、そんな経験はここ3年以上なかった。

でも今回のは少し違う。
空酔い(ドライドランク)もしていない。
単に寝ぼけている時間が長かっただけみたいやけど…

これって飲酒欲求の裏返しかも知れない。
自分の中に、もう大丈夫やって気持ちが目覚め始めている。
特に飲みたいというわけではないけど、未だ酒の呪縛を振り切れていないのか…

今までになかったタイプの不安やなぁ…

ちょっと否認が出はじめてるのかも知れない。


左:一重野梅  右:寒紅梅  大阪城公園梅林にて
一重野梅寒紅

今年の梅は例年より約2週間遅れの開花です。
やっぱ梅は、一重の野梅が良いなぁ。^^
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こんにちは。

アル中のsyousukeです。

おかげさまで酒は止まっております。^^



今、ダブルワークするべくアルバイトを探しにハローワークへまめに通っております。
しかしたぶんに漏れず、五十半ばのおっさんにとってはパートタイム職ですら氷河期で、お祈りメールと共に戻ってくる履歴書と職務経歴書の山が築かれてしまいました。

しかしなぁ、時間給800円のアルバイトに応募するのに何が悲しゅうて職務経歴書が要るのか、何が悲しゅうて書類選考に10日もかかるんか、えらい時代になってしもうたもんですわ〜

そんなわけで少しでも就活しやすくするために印籠(精神障害者手帳)を使って障害者としての登録もハローワークにしてみたのです。

で、先日いつものように自宅インターネットで検索済みの求人(健常者)の紹介状をハローワークにもらいに行くと、この窓口のおっさんがまたえらい無愛想で高飛車、完全に仕事やる気がない!

こういった窓口業務の担当者の『やる気』というものは、嫌というほど明確に伝わってしまうんですね〜

なんせこちとら、他人様の顔色を伺うのは超得意なAC気質ですから…
そこで受け流せればいいのですが、やっちゃいました。^^;


 こらぁ、われその態度何やねん

 もっと性根入れて仕事したれや!

 やる気ないんやったら顔に書いとけ、他の窓口に行くよって、のぅわれぇ〜


で、この窓口担当者が何をぬかすかと言うと、


 ここに来んと障害者の窓口に行ったらええんや!


と、大声でのたまわれた訳です。

別に障害者であることを周りの人に知られたところで痛くも痒くもないけど、個人情報保護法がどうのこうのと必要以上に個人情報を盾に情報公開を渋るお役所が、本来保護の対象になるべく障害者に対して差別的な態度をとるなんて、

ぜ〜〜〜ったい、許せん!

こう考えた私は、プチっと切れてアル中モードのスイッチが入ってしまったのです。

     ・
     ・
     ・ 約20分間 省略
     ・
     ・

警察沙汰は起こしておりませんのでご心配なく。

え?、心配などしていないですって?
ではご期待に添えませんで失礼。(笑)

結果的にはフロアー責任者と共に謝罪してくれたのでその場は収まりました。
(肝心の窓口担当者は嫌々でしたが…)



で、実は翌日にも断酒例会に行く途中、

例会場の前で道路工事があって、そこのガードマンが例会場の植木の植え込みにビニール袋のごみをねじ込みました。

なんとなくそのガードマンの挙動がおかしかったので気にしていたところその現場を押さえてしまったんです。


 こらぁ、なに子供みたいなことしとんねん!

     ・
     ・
     ・ またまた、約20分間 省略
     ・
     ・

と、またやっちゃいました…

今考えてみると、子供みたいなんは自分のことやと反省しております。
昔のように手が出んだけで、暴力に依存する考え方は全く変わっていない。

他罰的で自己中心的な考え方は、酒に囚われているときの自分が全てにおいて正しいという、飲む事を正当化するための手段に他ならない。

弱いくせに自虐的なため、自暴自棄を伴う暴力。

そりゃぁ、まともな人からしてみれば、切れてるやつが一番怖いよなぁ…

怖がられて自分が強いと錯覚して暴力に依存する自分…


飲んでないだけで、全く回復が追いついていないのが情けない。

いちいち、巻き舌で物言うのを治さんことにはあきませんね。
もっとさわやかに対処できるようにならないと… (汗)


巻き舌で物言うと相手がどう感じるか、

さわやかに言われるとどう感じるのか、

このあたりの認知の仕方が気分を変えることなのだということが少し分かりかけてはきたけど、改善するのは難しい…


まぁ、気の長い話やけど、飲まずにさえおれば何とかなるか?

ということで、今日も飲まずに過ごせそうです。



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こんにちは、アル中のsyousukeです。

おかげさまで酒は止めさせていただいております。




牟婁(むろ)大弁才天
(ネット上で拾った画像、作者不明、背景は南紀白浜の三段壁と思われるがピンが不自然なため看板文字はレタッチによる合成と思われる。たぶん…)


僕のブログを古くから読んでくださってる方たちはよくご存知と思いますが、僕は若い頃から突っ張って生きてきました。かといって裏社会で成功することも無く、どっちつかずの半端な人生を送っています。典型的な落ちこぼれです。

恥ずかしながら最近つくづく思うようになったんですが、本性はただの気弱なヘタレなんだと…

実際、窮地に落ち込むと逃げ場を求めて酒に溺れてきた結果、立派なアルコール依存症になってしまったわけです。

昔突っ張ってた頃の仲間の多くは金看板を上げて立派(道義的には問題ありやけど)に成功してるし、堅気の知り合い達も経営者になったり管理職におさまってそれなりに成功している。経済的に成功は無くとも平和な家庭を維持している。

どちらにも成りきれなかった自分のヘタレぶりにはつくづく愛想が尽きてしまいます。といっても自棄になっているわけではありません。酒が抜けるにつれて、自身の現状を受け入れることが出来るようになりました。

これはひとえに断酒継続のおかげかな?
自分の中での心のぶれ方の幅が小さくなってきているのを感じるのです。
でも、現状を受け入れることが辛いのも本音です。


数年前まで落ち込むたびに練炭に火を入れかけては、

『 そうそう、エロビデオを処分しとかなあかんなぁ 』

そう考えては、ハードディスクを整理したり、メディアを処分したりしているあいだにあほな考えが消え去ってなんとか生き延びてきました。同じことを何度繰り返してきたことか…

いままた、アダルトビデオがハードデスクの領域を脅かしています。

これって、俺の健康のバロメーターかもしれない。

などと最近は本気で考えています。

男って、変な生き物です。

おかげさまで、今日も飲まずに素面で行けそうですわ〜(笑)

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こんばんは〜

アルコール依存症のsyousukeです。

おかげさまで酒は止まっております。



実は去年、facebookをはじめました。
世間では、twitterやらfacebookが話題に上り、利用していないものは時代遅れのように騒ぎ立て、その煽りに乗せられて登録したのですがしばし放置していました。

もともと英語圏内のSNS、いくら世界中にユーザーが居るといっても英語の苦手な自分にとっては近寄りがたく、どうしてもSNSはミクシイという思い込みから離れられなかったのです。

しかし、まがいなりにも自称AndroidProgrammerの端くれ、facebookも使ったことが無いようでは恥ずかしすぎる。そんなわけでミーハーな理由からですが去年の暮れくらいにトップページを作ってみました。

未だ使い方はよく理解できていないけど、ミクシイとは違ったコミュニケーションのとり方ができるんですね。学校の同窓生なんかが登録していると自動的に教えてくれる機能があるのには驚きました。この辺が匿名と実名の違いでとてもオープンな感じなのがそれはそれで良い。

数十年ぶりの知り合いと連絡がとれ、とても重宝しています。

ところが、自分のように負け組みを代表するような生き様の人間はほとんど居なくて、会社経営とか、企業の部長とか、まぁ普通の生き方をしてくればこうなって当たり前というレベルではありますがとても自分とは比べれない…

改めて酒に溺れているうちに失った多くのものを思い知らされることになったのです。誰のせいでもなく自分の生き様の結果であることは十二分に分かっていても、やはり気後れしてしまう。


酒を止めると決心した当初、それまでの付き合いをほとんど絶ちました。
私の周りには酒を飲まない人間がほとんど居なかった。
いや、それ以前に飲めない人間を見下してさえいた。

おかげで今は周りを見渡すと、アル中を筆頭にメンヘラしか居ない。

それはそれで酒を断つには必要な環境であったし、そういった環境を作ったからこそ酒を断てているのかも知れないが、この閉ざされた世界から飛び出さない限り自分の成長は無い。


断酒はほぼ安定してきた。
感情のぶれも少なくなってきた。

今年は外の世界へ目を向けてみるか!


でも、一気に外の世界を目指すとたぶん壊れてしまうのが目に見えている。
焦らずに少しずつ、かな?

なにせ、『 飲むのも地獄、素面で生きるのも地獄 』
コントロール障害アル中にとって、ほどほどという言葉はとても難しい。


今日も一日断酒で、ボチボチ行きます。^^


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2012元旦
大阪城公園内豊国(ほうこく)神社にて



 新年、あけましておめでとうございます。

 旧年中は大変お世話になりありがとうございました。

 おかげさまで今年も素面で新年を迎えることが出来ました。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。m(_)m


 syousuke





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こんばんは〜
アルコール依存症の小原庄助です。
おかげさまで酒は止まっております。


早いもので今年もあと一日を残すのみとなりました。
恒例の『振り返ってみて』も、2007年5月9日に断酒を決意して以来、おかげさまで5度目となりました。これもひとえに皆様方のご訪問が、ブログ更新と断酒継続のモチベーションを支えて下さったのです。ありがとうございます。m(_)m

 2007年、振り返ってみて
 2008年、振り返ってみて
 2009年、振り返ってみて
 2010年、振り返ってみて


今年一年を振り返るに当たって過去4度の振り返りの記事を読み返してみると、我ながら難儀な病気になってしまったものだとつくづく後悔してしまう。そして、矛盾しているがそのように診断されて良かったとも思う。

診断を素直に受け入れることが出来るかどうかの問題はあるが、専門医がとどめを刺してくれたおかげで本気で酒を止める意識が芽生えたと考えると、断酒当初の苦しさや葛藤は別にして、今、酒の囚われなく、素面で生きれることはとてもありがたい。

アル中になって良かったという仲間が大勢いるが、私はへそ曲がりなのかとても良かったとは口が裂けても言わないが、そのような表現が出来ないだけで気持ちは分からなくはない…^^;

あの時アルコール依存症の専門医を尋ねなければ、私は間違いなく糞尿にまみれて孤独死していた。

アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。


このブログのサブタイトルを今読むととても恥ずかしい!
しかしこのように考えていたのも全くの事実。
何度も変えようと考えたが敢えてこのままにしておくことを選ぼうと思う。

おかげさまでこの一年間は大きな飲酒欲求も起きず、激しいうつ状態に陥ることもなく、わりと安定して平穏に過ごすことが出来た。酒が抜け切るには3年かかるといわれるが、私の場合は3年半必要だったようだ。

酒が抜け切った今(物理的には約2週間で退薬する)、当然身体的な依存は全くない。そして精神的な依存が消えてなくなるのはいつになるかは見当も付かないが、これは心の状態によるものだということがよく分かった。

この一年間はJavaProgrammingをモノにするという自分なりの課題があったが、これが良かった。目的を持つというプラスの思考は心を安定させる。実際少しの間、目的を失いかけていたら途端に落ち込んでしまったので間違いない。

せっかく酒の囚われから開放されて少しはまともに生きれるようになったのだから、残された時間は決して多くはないが、後悔のないよう前向きに過ごしたいと思う!

不思議なもので今は、健康に生きたいと願っている。


皆さん、良いお年を!


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アル中のsyousukeです、こんばんは〜

もう今年も残りわずか、また嫌いなクリスマスやら正月がやってきます。


きっとこういうフレーズを読むと何故?と思われる方も多いかと思いますが、私は子供の頃から世間の楽しそうなイベントが大嫌いだったのです。

私の親父は明けても暮れても競輪、競馬、競艇、オートレース、パチンコ、賭け将棋と博打三昧。そのくせ博才は無く、勝負に負けたはらいせを家庭に持ち帰る内弁慶者。嫌な思い出しか残っていません。

今でこそ「ギャンブル依存症」という立派な病名がありますが、当時はただのきちがいと思っていました。考えてみれば自分は「アル中」という負けず劣らず、いやそれ以上のどきちがい。やはり、「カエルの子はカエル」か…

先日からそんなことばかりが頭をよぎります。


16歳で家を出て自立した当時も今の心境と同じでした。
今考えても独りで生計を立てるのは辛かった。
でもそれなりに乗り越えてこれたのに、知らぬ間に逃げ癖が付いてしまいました。

「アルコール」、この史上最強の安定剤が無ければ俺は生きてこれなかったやろなぁ。
おかげでアル中になってしまったけど、アルコールという逃げ場があったからこそ生きてこれたのだと…

不思議なもので、独りで生きるためにはなめられる事は生き死にを意味し、突っ張ることでしか世渡りの仕方は見えなかった。そういう生き方を続けながら小さいながらも事業が成り立っていた頃は、イケイケの性格に生んでくれた親に感謝さえしていた。あの、博打中毒の親父に虐待されてきたからこそこんな性分になったんやと、感謝していた時期すらあった。


「カエルの子はカエル」と親を恨んでみたり、虐待されたからこそ負けず嫌いな性分になれたと親に感謝したり、そのときの幸福度に感情が左右されている。

以前であれば辛い気持ちの時には酒に逃げれば簡単にその場をしのぐことが出来たが、酒を手放した今、逃げ場が無い。しかし我々アル中と違ってアルコール健常者は酒に頼らず辛さを消化する。これが出来て初めて寛解なのは理解はしているが簡単には回復させてもらえそうに無い。

今の自分の環境を素直に受け入れることが出来れば、螺旋階段を転げ落ちるような負の連鎖は断ち切れるのだろう。先日来の断捨離にはこういった意味も感じている。

サーマル(熱上昇気流)を得たグライダーのように上昇のスパイラルに乗らなければ!


断酒:1687日
禁煙:2526日

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こんばんは。

アルコール依存症の小原庄助です。

おかげさまで酒は止まっております。



2001年に自営業をたたんで今現在の住所に引っ越してきました。
一日中いやな汗をかきながら、手の震えを止めるために一日中飲んでいたころです。
まるで夜逃げするようにこそこそと、近所にろくに挨拶もせずに…

正直なところ当時の記憶はあまりありません。
ところどころ虫を食ったように記憶が飛んでいるのです。
紛れもなく、部分的なブラックアウトです。

今のアパートに10年は住んでいるにもかかわらず、目の前には引っ越してきたときのまま未開封のパッキンケースが並んでいます。
明日やろう、近いうちに片付けよう、そう自分に言いながら先送りし続けて10年経つのです。もっとも、早々必要でないのが分かっているものなので放置してきたということもあるけど、やはり片付けれない性分のようです。


最近年齢のせいか気弱になりました。
いや、アルコールが抜けきった今、本来の性格に戻ってきただけなのでしょう。

ギャンブル中毒の親父の暴力から逃げたい一心で、早くから一人で生きはじめたものの、渡る世間を舐められずに突っ張るにはアルコールの勢いが必要でした。今考えたら本来は気弱な人間、酒無では生きてこれなかっただろうと…

独りの生活はとても気楽な反面、息が詰まりそうなほど寂しいときがあります。
以前のように酒に溺れれば一時のしのぎにはなるけど、それで解決しないことは明白。逃げ場がないというのはほんまにしんどい。

大の男が、めそめそしてるときには必ず過去の思い出に浸っています。
何年も前の使いもしないものたちを片付けようと作業をはじめると、落ちてしまうんです。

食器や家具、服や、レコード。
鉛筆やノートにまで家庭を持っていたころの楽しかった思い出が残っています。

しかし過去にしがみついていたのでは新生できない。
こんな簡単なことに50代半ばになってはじめて気づきました。


思い切って、捨てるぞ〜
飲んで楽になる道はもう選びたくない。
人生やり直すには歳食いすぎたけど、過去を断ち切ろう!

やっとそんな気持ちになれた。

さぁ、年末までにバンバン整理して身軽になってやる。


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