アル中 −アルコール依存症との戦い−


アルコール依存症(社会生活から抹殺)  →  死に至る
この図式から正常に戻りたい。 別に死ぬことへの恐怖は無いが命ある以上まっとうに生きたい。その思いを日記に記す。

こんにちは。アル中のsyousukeです。
ずいぶんご無沙汰しておりましたが、おかげさまで断酒継続中です。



2年近くもご無沙汰です。
ここしばらくは色んなことが立て続けにあって、もともとメンタルの弱い私は何度もアルコールに逃げることばかり脳裏をかすめました。10年以上断酒継続していても、やはりアルコールのもつ悪魔のささやきから完全に逃れることは出来ません。かろうじて飲まずにおれるのは、何年もかけて酒害を語り続けてきたことと、同じく仲間の体験談を聞き続けてきたこと。おかげで飲酒の恐ろしさを、この皴の薄い我が脳みそにも深く刻めたことが何とか抑止力となってるようです。しかし、断酒会を遠のき、クリニックのミーティングからも遠のき、少しずつですがこの抑止力が弱まって来てるのも自覚できているところです。

自助グループの例会に参加するメリットとデメリット共にありますが、デメリットが勝るようになってきたのです。これはひとえに自分の驕りであることも自覚できています。ただ自覚は出来ているが、デメリットを受け入れて消化できるだけの力量もない。こんな葛藤が自助会への参加を遠のけています。この先、断酒を継続していくためにも例会参加は必須なのに、まだしばらく整理に時間掛かりそうです。


ところで先日来、話題沸騰のTOKIOの山口達也氏の記者会見で

山口氏:1/15〜2/12まで、お酒の関係で体を壊しまして一か月間入院して
    いました。退院したからちょっとお酒を飲もうとかなという気持ち
    になってしまいつい飲み過ぎてしまいました。

記者 :具体的にはどのくらいの酒量だったんですか?

山口氏:焼酎の瓶をたぶん一本ぐらいは飲んでいたと思われます。


このやり取りを見ていて、山口氏ってアル中やってんなぁ、おそらく内科への入院やろうけど退院した日に飲るなんていうのはまちがいなくアルコール依存症や!仲間やったんや〜

そういえば、俺も断酒30日達成した暁には自分へのご褒美に飲るぞ〜 って心に決めてたのを思い出した。おまけに断酒前は毎日焼酎一升瓶を空けて酩酊してたのも思い出します。多い日は3.8リッターの大五郎を空けてたなぁ〜

山口氏の焼酎の瓶は1升瓶なのか4合瓶なのか分からへんけど、まぁよお似たもんです。しかし、自分にとっては当たり前のことやったのに、芸能人は酒飲んで酩酊して女子高生にチューしただけでこれほど大問題になるとは、ある意味可哀そうです。いや、アル中の振る舞いを肯定するわけではないけど、自分にとっては365日、日常茶飯事やっただけに・・・

そら、嫁はんにも逃げられるわなぁ〜(自分の事です。)


やっぱ俺って、かろうじて飲んでないだけで、正真正銘のアルコール依存症者です。何年経っても、初心を風化させないようにしなければ!



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家族とか親族とか身内、血縁ってなんやろ?
結婚に2度失敗してる俺にとって自分の家族は無い。
存在するけど、無い…

自分と血の繋がる母一人、妹一人は物理的には存在するが、精神的な繋がりはない。

博打に明け暮れてその勝ち負けで荒れ狂う糞親父を憎み、15歳で家を飛び出して以来、親兄弟には一切頼らず独りで生きてきた。妹は俺のように飛び出せなかったからか、自分の殻にこもり、まったく心を開かない。それどころか自分さえ良ければいい超利己主義者なので今はもう付き合いはない。母親は俺が守ってやるという気持ちから遠くには離れず生きてきたが、この人も自分の事しか考えない…
もう疲れてしまった。

頑張って、サービス付き高齢者向け住宅に入居させることもできたが、顔を合わせば不満ばかり。もう会いたくない。

食事にも制限があるのに、どうせ長生きできないからと好き勝手やり放題。そのため緊急入退院を繰り返し、その都度呼び出される。生きるための努力をするならいくらでも応援するし介護もするけど、努力のかけらも見えないのに長生きしてほしいという気持ちにはなれない。

家族には見返りを求める気持ちなんて毛頭ないつもりやけど、顔を合わせたときくらいニコっと笑顔を見せて欲しいと思うだけでも、これも見返りを求めていることになるのかなぁ…

家族って助け合って生きるからこそ大切なのではないのか。
血が繋がってるというだけでいつまでも尽くせるほど俺は出来ていない。
血の繋がった母親に一日でも長生きしてほしいなんて、まったく思えない俺ってなんて薄情な冷血人なんやろ、と思うとどんどん気持ちは落ちていく…

ギャンブル依存症の父親(おおむかしに自殺、俺がこの手でやりたかった。)
そんな糞ったれに共依存していた母親
そしてそんな母親とカプセル母娘の妹

飲んで酩酊して現実逃避すると楽やろなぁ…
ほんま疲れてしもうたわ…


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こんばんは、アル中のsyousukeです。

ずいぶんご無沙汰しておりました。^^;

先日(5/9)、おかげさまで断酒9年達成できました。



断酒会に通いはじめて間がないころ、「断酒〇〇日目です。」と発言したときに、後に断酒会の先輩に言われました。

「最低1年以上酒止めて初めて断酒や! それまでは、体が弱って酒を受け付けてないだけや!」

なるほど確かにそうでした。
ま、1年は大袈裟にしても、長年の飲酒で衰弱しきった体が酒を受け付けるまで回復するには1ヶ月は最低かかる。それまでは止めてるんではなくて飲めないだけ。飲める体になって初めて己の意思で断つという言葉が使える。

花見の時期に飲みたいのを我慢し、真夏にビールの喉越しをあきらめ、秋の味覚にポン酒を避け、凍える真冬に熱燗やウォッカを尻目に耐える。気が遠くなるような四季を無事に素面で過ごして、ようやく断ったと言える。

で、一年酒を断ってようやく「断酒してます」と言えるようになったと喜んでると、

「まぁ10年断って一人前や!」と、言われ

さすがに10年は長い!
でも確かに自分自身があと一年、10年にリーチかけてようやくそれが理解できる。いや、10年で一人前はずいぶん甘い基準かもしれない。俺、あと1年で一人前になれるんやろか?


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アル中のsyousukeです。

今日は愚痴らせてください。(-_-;


自助会もクリニックもしばらくご無沙汰してたので、今日こそは仲間の顔を見に行かねばとクリニックへ向かいました。万が一の事も考えて、無いとは思いましたが念のため、ミーティングの予定に変更ないかとクリニックのHPで確認してから向かったのです。

ところが、ミーティングは臨時休みでした。
わざわざ確認したwebは更新されてなかったのです。

これって、「マーフィーの法則」っていうのかなぁ!
久しぶりやし、通院には半日かかるし、まさかと思いながらも確認したのに…
それでも懸念した事が的中するとは!

webではなく次からは電話で確認してください。って受付で言われたけど、クリニックは9時から、おれ家を8時過ぎには出ないとミーティングに間に合いません。そんな早くに電話しても繋がらんやろ!

クリニックの中にはこの件を張り紙で通告してあったとのことやけど、たまにしか通院せんもんには意味無いと思うねんけど…
(そういや以前にもこんな事あったけど、そのときは代替のミーティングはあったよなぁ)

クリニックに着いて、ミーティングのドタキャン知ってそのまま帰ってきました。

早朝から半日時間を無駄にしてしまった。
時間は午前中だけやけど、せっかくの休日を一日潰してしまった。
その上、低所得者やのに高い電車賃を無駄に使わさせられてしまった!


あ〜〜〜
飲まなやってられん気分を思い出してしまった!
こんな事くらいでは飲らんけどね。(-_-;

これで飲んでしもうたら、交通安全祈願のお守りをもらいに成田山不動尊(成田山大阪別院明王院)に車で行って帰りに事故るようなもんや。(笑)

久しぶりのブログ更新やのに、愚痴ってしまいすんません。
でもお陰さまで、吐き出したらスッキリしました。



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こんにちは。

アルコール依存症の小原庄助です。

おかげさまで断酒継続中です。





またずいぶん長いあいだブログ更新もせずご無沙汰しておりました。これほど放置しているにも関わらず、毎日多くの方がアクセスしてくださる事に驚いています。そして感謝しています。ありがとうございます。m(_)m

おかげさまで素面の生活もかなり板に付いてきたようで、肩肘張らずとも酒を遠ざける事が出来ています。全く飲みたくないと言えば嘘になりますが、過去の飲酒生活のときのような酒があって当たり前といったシチュエーションでも、飲まない事が辛いという感情はあまり現れなくなってきました。飲酒という生活習慣の記憶が薄れ、素面で生きる習慣が優位になってきたのです。今考えてみると、こういった状態になるには相当な期間が必要でした。


焦らずマイペースで!

こう言いつづけて来て、そして言われ続けてきて、その意味がようやく心から理解できるようになりました。身に付いてしまった飲酒習慣を習慣でなくすためには、それこそ習慣化するまでに費やしたのと同等の年月が必要なのではないかと感じます。自分の場合は35年間飲み続けてきたわけですから、35年間酒を断ち続けてようやくリセットなのかも知れません。ちょっと大げさかもしれないけど、案外的外れではないような気がしてます。

実際に強い依存が形成され、毎日飲まずに居れなくなったのは30歳頃。専門医療に繋がって断酒を決意したのが50歳。この間、約20年ものあいだはほとんど酒を断ったことがない。中でも40歳頃からの約10年間は、酒が切れると強い離脱症状が現れる身体依存が顕著になってきていた。それを考慮すると私の場合、少なくとも10年間は酒を断たなければ、アルコールに囚われていた脳の働きは健全化しない。


5月9日(土)で、断酒8年を終え、9年目を迎える事ができました。
(写真の双眼鏡は自分へのご褒美)

おかげさまで、何事もなく平穏に暮らしている限り、飲酒に対する欲求はまったく起こりません。しかし、エチルアルコールが史上最強の安定剤であることは私の脳裏から消える事もありません。

もう少し、焦らず、驕らず、マイペースで!IMG_6419



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みなさん、こんにちは。
アルコール依存症のsyousukeです。



じつは恥ずかしくて書き込めなかったんですが、一昨年秋頃やったかなぁ?断酒会をクビになりました。半年間以上の上納金(会費)が滞っていたからです。以前職業訓練を受けていた期間、予習復習に追われていてとても例会出席が出来ず、休会というシステムも無く、一年間くらい未納になっていました。再度出席しはじめてから少しずつ未納分を追い上げてはいたのですが、

 「半年以上の未納はクビ」

と、総会で決まったそうで、まぁええ機会やし無理に残ろうとはせずに退会したのでした。

もともと断酒会には多くの疑問を感じながらも、他に代わりになるものも見つからなかったので致し方なく席をおいていたという感じだったので、あまり深くも考えずに退会しました。別に断酒会員でなくとも行き慣れた例会に無所属で出席すればいい。会費の変わりに献金すれば良い。そんな感じでしばらく出席してはいたのです。

しかし、なんと言うか、「縛り」がなくなると足が遠のいてしまうものなんですね。
強烈な飲酒欲求に苦しんでいる頃なら藁にもすがりたい心境でしたが、それほど苦も無く酒を止め続けれるようになった今、藁では満足できない。断酒会の例会に対する価値観も相当に落ちてしまって魅力を感じなくなってしまっている。

しかし、アルコール依存症が完治したわけではないのです。
前回の記事のように、いつ飲んで楽になろうと考えてしまうか分からないのです。


やっぱ、仲間の中でしか安心して生きていけない体になってしまったことを痛感しています。
身近な信頼できる仲間の多くは、社会復帰と共に医療や自助から離れてしまったり、再飲酒して死んでしまったりで残り少なくなってきました。また新たな仲間作りからはじめないといけません。

幸いにもクリニックにはたまにしか通ってはいませんが繋がり続けています。
クリニックにはミーティングもあるので助かっています。
そういえば、先日院内のミーティングに参加したとき、マリアテレサ(PSWの先生)がおっしゃいました。

 断酒することを、大事業と言ってる方がいらっしゃいます。

自分以外にも、こんな表現する人が居るんやなぁ、と感心しながらも分かち合えたのでした。
(笑)


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こんにちは、お久しぶりです。
アル中のsyousukeです。
おかげさまで、なんとか断酒継続させていただいております。



ずいぶんご無沙汰してました。
半年以上、更新もせず放置していたにもかかわらず、毎日たくさんの方が訪問してくださることに驚いています。それほど、アルコールとの付き合い方に疑問を感じてる方が多いのですね。

じつは今年になってから再飲酒の危機がありました。
ずいぶん長い期間、安定していたのに・・・
飲んで楽になる道を選びかけてしまったのです。

かろうじて飲酒には至りませんでしたが、相当なうつ状態になり、気持ちに折り合いをつけるのに1週間かかりました。まだまだ落ちたままですが、ブログに吐き出してみようと思えるくらいには自分を取り戻せました。

先週、野暮用があって離婚した元かみさんと会う機会があったのです。
自分としては久しぶりなんで色々と話したいことなどもあり、楽しみにしていたのですが、当日約束をすっぽかされ、翌日に仕切りなおしたのです。そしてそのことを切っ掛けに口論になってしまいました。喧嘩する気なんて毛頭無かったのに…

離婚を決意した女性に対し縁りを戻せるなんてことは考えてはいませんでしたが、年賀状はくれるし誕生日にはメッセージのメールもくれるので、友達としてのスタンスで居れるものとばかり思い込んでいたのです。しかしそれはたいへん甘い思い込みでした。

自分自身、相当努力して断酒に踏み切り、そしてそれを継続している。
その思いから、酒に溺れていた頃の愚行は綺麗さっぱり時効になってるくらいに思っていたのです。
しかし考えてみれば、生計を共にしている間に校正したのであればその過程も見知ってもらえるけど、酒に溺れてるときの自分しか知らない元かみさんにとってはそのときのまま時間は止まってるはず。

一度失った信用の回復が難しいことは分かりきっていたが、生計を共にしていても難しいのに、自分のようなケースでの信用の回復はありえないほど困難であることを思い知ったのです。

じっさい思い知ったおかげで、落ち着きを取り戻せたのかもしれません。
これが、受け入れるということなのでしょう。少しだけ分かったような気がします。


苦しいときに分かれる夫婦って何やろ?と、元かみさんを恨んでみたり、元かみさんが離れてくれたことで底つきする切っ掛けになり酒を止める事が出来たと感謝してみたり、そのときの都合で感情がぐらついてしまう。

ようは、自立心が薄く、他人に対する依存心が強い、弱い自分に問題があるのだと…
ちょっと酒が止まってるくらいで、慢心してはあきませんな。
もう少しのところで飲んでしまうところでした。(-_-;


このブログに訪問してくださる方たちの中には、ご自分の酒の飲み方に問題を感じ始めてる方も多いことと思っております。酒を止めるのは大変な事業です。しかし飲み続けると大切なものを次々と失って行きます。
出来ることなら家庭を崩壊させる前に、気付きのあらんことを祈っております。


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キビタキ

いま一番お気に入りの鳥、『キビタキ』 です。^^


こんばんは〜
アル中のsyousukeです。
お久しぶり〜
約4ヶ月ぶりのブログ更新です。



おかげさまで断酒継続させていただいております。
気がついたら、断酒7年達成しておりました。
連休前までは覚えていたんですが、あれやこれやとバタバタ過ごしているうちにすっかり忘れてしまってましたが、大好きなアルコールとバイバイして8年目になりました。^^v

勤めの方も何とか新たにもう1年はクビが繋がりそうで、3年目です。
昨年の秋までは、おふくろの介護にくたびれてしまって飲んで楽になりたいなんてことを考えることもありましたが、今は 『サービス付き高齢者向け住宅』 という施設に入居して落ち着いてくれてますのでひと安心しています。

それから、いままで花の写真にはまってましたが、この春から鳥撮りに目覚めてしまって、時間があれば鳥を探しにあちこち走り回っています。もちろん植物たちもあいかわらず追いかけています。アルコールという嗜癖の代替がカメラになっただけかもしれませんが、おかげで 『酩酊』 という酔いの感覚を忘れることが出来ています。

正直なところ、ここ数ヶ月は飲みたいという感覚はありません。
でも言い換えれば、アルコールの怖さも忘れつつあるのですね。


飲酒欲求もなくとても良い状態が続いてるからこそ、再飲酒の危機感がない!

こんなときに何か問題が起きれば飲ってしまう。


最近そんな不安が新たに生まれてきました。
もう大丈夫。なんて有頂天になってると最初のひとくちに手をつけてしまう。
アルコール依存症というものが、そんな病気であることを思い出さなくては…

何年も酒を断っているのにたった一杯の酒で落ちていった仲間を何人も見ています。
そこから立ち直れずに亡くなっていった仲間も何人も見てきました。

明日、久しぶりに例会出席してみよう。


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じつは数ヶ月前まで、自宅で飲むコーヒーはインスタントと決まっていた。
挽き豆から入れたコーヒーが嫌いなわけではない。
ただ、インスタントコーヒーの利便性がドリップなどの追従を許さなかっただけ。

もう古い話しやけど、テレビドラマの 『ガリレオ』を見ていたとき、主人公の湯川 学(福山雅治)がインスタントコーヒーを愛用している。単に「レギュラーを入れる時間が無駄だから」という合理的な考えからということやった。

役柄とはいえ、こんな考え方が自分以外にもあるということにとても共感でき、さらに、「インスタントコーヒーは科学文明の匂いがする。」 という台詞、これにも大いに共感できた。

ま、ガリレオの話は置いといて、とりあえず長い人生、自宅ではインスタントコーヒーというのが相場だったのが、最近ペーパードリップするようになりました。

だからどうしたというわけではないねんけど…

むかしの自分が、自宅で飲むものといえば、エチルアルコールを含有していない飲み物なんてありえなかった。そんな関係もあって、自宅でコーヒーを飲むこと自体、まずありえなかった。

最近はコーヒーを楽しめるようになってきた。
酔いを醒ますためのコーヒーではなく、ほっとするひと時を楽しむために…
そうすると、コーヒーを入れる過程までが楽しめる。

パーコレータ

むかし、分かれたかみさんがパーコレーターを使っていたのを思い出した。

ペーパードリップで香りを楽しむのもいいけど、パーコレーターの動作を眺めながら、アメリカンを入れてみるのも良いかも?

そう言えば、このブログを書き出した頃は、焼酎を飲りながらでした。

今日は、穏やかに素面で過ごせています。


キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) 18-8ステンレス製パーコレーター3カップ M-1225



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やしきたかじん
 歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが死去していたことが7日、わかった。64歳だった。昨年3月、食道がんの治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。

 やしきさんは、京都を拠点にシンガーソングライターとして活動を開始し、昭和51年に「ゆめいらんかね」などでデビュー。59年の「あんた」、61年の「やっぱ好きやねん」がヒット、脚光を浴びた。

 また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから“浪花の視聴率男“の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。

 一方で、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた支援活動に携わったほか、橋下徹大阪市長の相談相手としても知られていた。

 やしきさんは、一昨年1月に食道がんの診断を受け、同月末からすべての芸能活動を休止。4月に内視鏡手術を受け、昨年3月に芸能活動を再開したが、5月に体調不良を訴え、再び休養に入っていた。
sanspo.com より引用



ぺらっぺらな芸能人が多い中、尊敬できる数少ないタレントさんでした。
ご本人の飲み方を自分の目で見たわけではないけど、常日頃のトークをお聞きしていた限りでは残念ながら我々と同じアルコール依存症。仮に依存症でなくとも、過度なアルコールの乱用は日常のものだったのではないかと…

食道ガンが、強いアルコールの飲用に起因する事も我々アル中の常識です。

たかじんさんが亡くなられたことは本当に残念ですが、いま一度アルコール乱用のリスクを強く胸に刻みながら、たかじんさんのご冥福をお祈りします。


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